結論からいえば、「戦略」と「実行」をつなぐのは「思い」の宿る議論です。もちろん「思い」だけの議論ではどこまで行っても空論にしか過ぎません。しかし、「思い」から切り離された戦略議論は無機質なものになりがちです。本当にその戦略が自分自身にとって意味があるという主体的な納得が得られなければ、心を躍らせてそれを実行しようという人の意欲は湧きません。

私のお手伝いしているある大企業では、次世代経営を考えるワークショップを部長層に展開しています。この部長チームは、「思い」にもとづく議論を通じて「戦略」と自分たちをつなぎ、実行への挑戦を始めています。

自社の提供価値や存在意義から問い直すことがスタート地点

部長たちが日々の業務に忙殺される部門の責任者としての立場を離れ、あえて立ち止まって、会社の将来を真剣に考え抜く時間をつくる。ワークショップは、全社的な観点で、自社の提供価値や存在意義について根本的なところから問い直すことがスタート地点です。
そこでポイントになるのは、集まったメンバーが「自分は何を大事にしたいのか」について自らに問い、その思いをお互いにぶつけ合うこと。思いの宿る血の通った意見のぶつけ合いであれば、多くの場合、共有可能な一つの方向性がそこから見えてきます。

この議論を進める中でメンバーは、個人の能力、組織間の連携、事業の展開、海外への拡大等のあらゆるところで「ここまでしかできない」という強固な枠を自分たちが勝手につくり出し、その呪縛にとらわれてしまっていることに気がつきました。そこで、チームは議論の末にたどりついた総意として「自らがはめた枠を自ら広げていく」ことを課題として共有しました。

しかし、問題はここからです。
メンバーの間で共有した方向性をベースにして、より具体的な戦略や目標のほうへ議論をシフトさせようとすると、とたんに思考が停滞するという誰もがぶつかる「壁」に直面してしまいました。
「総論」として発散的に議論しているうちは、基本的に頭も心も前向きです。ところが、それを実行するとなると、アイデアを事業戦略に置き換えて実行を前提とした「各論」をつくらなければなりません。そうなると、日々の自分の仕事という「生身の現実」との間でどうしても矛盾や葛藤が出てくるために、そんな面倒なこと、覚悟のいることは結局避けたいというブレーキが自動的にかかってしまうのです。

チームが社長への中間報告で「自らがはめた枠を自ら広げていく」という方向性をアイデアとして発表したところ、社長から返ってきたのは「君たちの言うことはすべてそのとおりだ。しかし、なぜ君たちは私が具体的にそれをやりますと言わないのだ」というかなり強い調子のフィードバックでした。

自分達で考えた戦略プランを「自らが実行する」

これがきっかけとなって、メンバーはそれまで立っていたコンフォートゾーンを離れてリスクを取ることに踏み出そうと意志を固め、自部門が飛躍するための戦略アイデアを持ち寄りました。それらは従来の延長線上では達成できない革新的なもの、かつ実現の困難なものばかりです。とはいえ、アイデアの多くは過去に各部門で検討されたものでした。
今までは「考える」だけで塩漬けになっていた戦略。それが「実行」に挑戦してみようというメンバーの意欲に火がつくことで復活することになったのです。

戦略アイデアは、異なる経験や環境をもつ部門のメンバーの目で多面的に検討されました。お互いに知恵を出し合う中でチーム意識が高まり、実行を後押しする状況が整ってきたことが、挑戦しようという意欲の下支えになっています。じつは、この「腹をくくる」プロセスこそが、今まで戦略を実行するために欠けていたミッシングリングだったのです。

社長への最終報告では、部長たちが自部門の事業を飛躍させるための戦略プランを「自らが実行する」と宣言しました。彼らの目や口調を見れば、それが社長を前にして儀礼的に言っているのではないことは明らかでした。

業績がどん底状態から復調しつつあるこの企業では、将来に向けた新たな成長戦略に対して社長が強烈な思いをもっています。そのトップの思いを戦略の実行を通して、次世代経営層がしっかりと受け継ごうとしています。