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柴田昌治の思い出~たくさんの人に、たくさんの問いを投げかけた人
スコラ・コンサルトのベテラン勢には、入社まもない頃に経験した創業者・柴田昌治にまつわる共通の思い出があります。
柴田が出向く講演先、多くの企業人が集まる交流会のような場、あるいはクライアント先などに、まだ新人の身で「まずは同行して経験を」といきなり連れて行かれ、しばしの時間を過ごしたあとに「では、僕は先に帰るからあとはよろしく」と言われて一人取り残された……という思い出。ほとんどの人が「僕もですよ」「私も同じ目にあった」と今では笑い話として語っていますが、当時その場で誰もがどれほど焦ったことか。思い返せば、柴田と私たちのつきあいには、そういった無茶ぶりの課題・宿題が数多くあったと思います。
自分の能力の限界を感じながらも何とか一つの仕事をやり遂げたと思った直後に、すかさずまったく次元の違う課題を持ち出してきて、「これをやらなくては、本当の意味で相手の会社のためになることはできない」と言い切る。そのつど追いつくのに精一杯の状態。さすがに心身の消耗がひどくて「柴田さん、そうかもしれませんが、僕の力では限界ですよ」と言い返せば、「それは成長を感じられることでもあるから、良いことですね」と屈託なく笑う。
昨年12月31日に80歳で永遠の眠りについた柴田と私との最後のやりとりは12月22日。数年前から一緒に支援してきたクライアント企業で年明けから始めるつもりだった新たな試みの相談でした。
大きな変化を起こすタイミングでとても楽しみだ、自分にも考えがあるので年明けの社内ミーティングには入らせてほしいという求めに応じ、早速「年明けの予定に入れましたよ」という私に対して、柴田が返してきた「ありがとう」のコメントが最後でした。
まったくもって、“生涯現役”という言葉通りの人生を生きた人だったなと思います。他のメンバーも同じように、年の瀬まで柴田とのさまざまなやりとりがあったようで、最後までアクティブに仕事と思索に取り組んでいた柴田は、私たちにたくさんの課題、宿題を残して旅立ったような気がしています。
「柴田さんらしいなあ」とつぶやきながら、私たちは当分の間、途中になった柴田の仕事、投げかけられた思索と問いに向き合っていくことになりそうです。
挑戦文化と調整文化~日本企業の風土改革が向かう先は
柴田にとって絶筆作となったのは2022年に出版された一般書の『日本的勤勉のワナ』であり、これはまさに柴田が40年近くにわたって取り組んできた風土・体質というテーマについての集大成でした。しかし、本当の節目になった本は、その2年前に出した『なぜ、それでも会社は変われないのか』です。
この本はさかのぼること20余年前、多くのビジネスパーソンに共感と衝撃をもって受け入れられた『なぜ会社は変われないのか』のアンサー本として書かれ、そのアンサーから始まる新たな問いを私たちに投げかけています。
日本企業には風土・体質という根本的な問題がある、ということを発見した『なぜ会社は変われないのか』以来、柴田は仮説にもとづく風土改革のさまざまな試行錯誤を続け、のちの『なぜ、それでも会社は変われないのか』の中で、日本企業が持つ風土・体質という構造的な問題に新たな改革の方向性を示しました。
〈調整文化から挑戦文化に変える〉
風土改革とはどこからどこへと向かうものなのか、という方向性をこう示し、風土改革における経営のリーダーシップを問うたのです。
日本企業の風土改革の本質を「調整から挑戦へ」とつかまえてみせた柴田のこの本を読むと、私の頭にはいつも「処女作には作家のすべてが詰まっている」という小説家について語られる言説が浮かんできます。夏目漱石の『吾輩は猫である』に風刺とユーモアが、カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』に記憶と喪失が、村上春樹の『風の歌を聴け』に孤独と言葉の持つ力が描かれているように、やはり柴田昌治も処女作で、その思想のコアな部分を語っていたのだなあと。
柴田の処女作は1988年の『何が、日産自動車を変えたのか』。まだ風土改革というコンセプトもなく、コンサルタントでもなく、スコラ・コンサルトも存在しない頃です。新規事業開発のための研修という形で企業支援をしていた中で見聞きし、考えたことを書き連ねた同書のメインメッセージは「リスクテイク」でした。
企業人がいかにしてリスクのある決断を下し、前例や慣例の常識を打ち破って新しいことに挑戦できるのかを、さまざまな角度から考察しています。
そうです。柴田は風土改革よりも以前に「リスクある決断によって挑戦すること」の意味を考え始め、風土改革を提唱したのち、四半世紀を越える企業支援の経験を経て、ふたたび「挑戦文化」にたどり着いたのでした。
私たちへの宿題~背中を押し、人がつながる「共感力」をどう引き出すか
柴田が最初から、そして最後に発したメッセージは「リスクテイクによる挑戦」でした。もう少し具体的に突き詰めると「試行錯誤とそのための意思決定」という変革における経営の責任です。長らく柴田と一緒に仕事をしてきた私たちにとっては「試行錯誤」も「意思決定」も日常的に耳慣れた言葉であり、柴田の口から最もよく聞いた言葉です。
挑戦は必ず試行錯誤を伴う。それはすなわち失敗があることを前提として、その危険を知りながら意思決定すること。この意思決定をいかにして行なうのか、さらに、いかにしてその質を高めていくのか。ここから「組織風土」という観点が生まれ、個人とチームの思考の質を高める対話の重要性が生まれたのだと思います。
〈挑戦・試行錯誤するための質の高い意思決定〉
これが、私たちに柴田が残した宿題の一つであろうと思います。特に私は、柴田とメールでやりとりしながら一緒に考えていた昨年の議論を今もしばしば思い返しています。
一人のカリスマによる独創的な挑戦、たとえばイーロン・マスク氏が常人には思いもつかないアイデアでリスクを冒してロケット開発を成功させたり、孫正義氏が大失敗も大成功も含めて世界のビッグニュースになるような企業買収を手がけたり…といったものとはまた別種の、いわば欧米型に対してもっと日本的な、しかし同じように優れた試行錯誤と意思決定の形はないだろうか?
そこで注目していたのが、日本人の持つ「共感力」のポジティブな発揮の可能性です。
「あうんの呼吸」を可能にする共感力は、多くの日本人が社会の中で自然に身につけている能力の一つです。それがいわゆる「忖度」や「予定調和」を生み、議論をナアナアにして合意してしまうという意思決定のあいまいさを生んでいます。風土・体質的な問題においては、個人よりも組織を優先する同調圧力につながるという点で、共感力がネガティブな調整機能を果たすことが知られています。
しかし一方では、他者への思いやりを引き出し、多様性を生かし、チームの力を高めるというポジティブな側面も持っています。この点における共感力は、良い風土、良い文化醸成にも効き目のある、柔軟性の高い特殊能力だといえるでしょう。
むしろ、イーロン・マスクでも孫正義でもない、私のような“普通の人間”が何かに挑戦しようとした時に感じるためらいや怖さに対して、「それもわかるよ」と寄り添ってくれる、寄り添いつつも「でも、ここであきらめてしまっていいのですか」と背中を押してくれる、それでも動き出せない時には「じゃあ、一緒に動く仲間を見つけましょう」と人や組織をつないでくれる――。こんな「質の高い調整」は日本企業における挑戦文化を構成する重要な要素の一つではないか。そして、その「質の高い調整」を実現する文化的なコア・コンピタンスこそ、我々の多くにそなわっている「共感力」なのではないか。
『なぜ、それでも会社は変われないのか』において、柴田は「調整文化から挑戦文化へ」という変革の方向性を打ち出しましたが、その後、さまざまな企業人との議論の中では「悪いのは(共感力がネガティブに機能してしまう)調整文化であって、調整そのものは必ずしも悪ではない」ということを言っていました。
文化によっては、共感力がポジティブな影響をもたらす調整もあるのだと。
私たちスコラ・コンサルトが長年、風土改革の道具として使い、磨き続けてきた対話の場「オフサイトミーティング」も、安全・安心の土台をつくり、人と組織をつなぐ共感力とポジティブな調整プロセスを育み、仲間とともに強化していくためのものであったのかもしれません。
柴田と私の議論は白熱しましたが、その後、彼の病状の進展とともにこの話題は一時休止し、そして残された宿題となってしまいました。
・挑戦・試行錯誤のための質の高い意思決定を可能にする「共感力」とは?
・「共感力」の位置づけと発揮のしかた、いかにして高めるのかという育て方は?
これからは、この宿題をスコラ・コンサルトの仲間と、またクライアント企業の皆さんと一緒に追いかけていきたいと考えています。
もう一つの残された宿題~仕事人生から、自分らしく生きる人生へ
じつは柴田には、未完となった書きかけのテーマがあります。
一般読者に向けた『日本的勤勉のワナ』は社内のベテランメンバーから見ても一応の集大成であったにもかかわらず、思想家としての柴田の思索はやむことがなく、しばらくすると次の本の構想に取り組み始めたのでした。
テーマは「サラリーマンが自分の人生を取り戻すには?」。 企業人がサラリーマンとして会社から与えられた“仕事人生”に自分を委ねるのではなく、個人としての「自分軸」を持って生きること。そんな個人の生き方にフォーカスして考察することで、日本の社会に自分らしい人生を生きる人がもっと増えるように、と取り組んでいたテーマです。
突き詰めると、ここでも重要な要素になっているのが「自己選択と意思決定」です。
つねづね「人は意思決定するたびに成長する」と考えていた柴田が、個人の成長、個人の生き方について、自分なりの論をまとめようとしていたのだと思います。
新自由主義に影響された安易な「自己責任論」の弊害が指摘されつつある昨今、人が本当の意味で自分らしい人生を生きるために必要なことは何か。柴田が人間的成長と密接に関わると考えていた意思決定の問題を通して個人の生き方を論じることは、とても意味のあることだと私も思っていました。
私たちの支援の中で大きく変化した人、風土改革やオフサイトミーティングに出会って人生が変わったと言ってくれる人へのインタビューに着手し、柴田とともにお話を聞かせていただいたりしましたが、このテーマを本にまとめる時間は柴田にはありませんでした。
〈個人がどう生きるか?〉
これまで組織の風土改革・文化醸成を主たる仕事にしてきたスコラ・コンサルトですが、個人の生き方という観点からの課題も、これからの私たちに委ねられた重要な宿題となります。
「巨人の肩に立つ」という言葉がありますが、私たちには柴田と、そして柴田とともによりよい組織、よりよい生き方をめざしてきた先人がたくさんいて、今も多くの同志が社内外にいます。これからはそんな人たちと一緒に、柴田が見ることの叶わなかった未来を見いだしていきたいと思っています。