愛社精神に支えられたエネルギーがなくなってきている

経済全体に追い風が吹いているときなら、「社員の活力を引き出すという経営の正道」をはずした経営をしたとしても、長時間のがんばりを上手に社員に強要しさえすれば、それなりの業績を残すことができました。欧米先進国から言わせれば、ホワイトカラーの労働生産性の著しく低い日本企業の多くは、このパターンに該当しています。労働生産性の低さを今までは、社員の豊かな人生と引き換えにした長時間労働によって、何とかカバーしてきたのです。

現状に、より大きな影を落としているのは、かつての社員が持っていた、まがりなりにも「なんとかがんばって会社を支えよう」という愛社精神に支えられたエネルギーがなくなってきている、ということです。がんばっていれば給料も上がるというインセンティブがあった時代とは違ってきている、ということです。
今は愛社精神がまったくないとは思いませんが、やはり昔とはかなり違います。会社と距離をおいて「給料のため」「キャリアのため」と割り切って働く人が多くなってきているように思います。しかも、働く人たちの置かれた状況は、年を追うごとに厳しいものになっています。
長時間労働を頼みにした業績向上が限界に達しているだけではなく、長時間労働を支えてきた中身さえも、すでに空洞化しているのです。

よくよく見ると、人をとりまく環境がその活力(意欲や前向きなエネルギー)を奪う方向にいつの間にか変化しているのが今という時代の特徴です。それだからこそ、企業にとっては極めて厳しい今のような環境下であっても、社員の活力を可能な限り引き出していく経営をすることが、会社の業績をより良くしていくために最低限必要な条件になっているわけです。

頑張りを強要しても、社員の活力は引き出せない

しかし困ったことに、社員にがんばりを強要することは比較的簡単にできても、社員の活力を引き出すことは決して容易ではありません。とくに、会社へのロイヤリティが低下している状況下でそれをやるとなると、中途半端なごまかしでは済まないということです。

社員の活力を嘘やごまかしなしに引き出すためのカギは、人の本来もっている「考える力」を生かすところにあります。自分のやっている仕事の意味、それがもたらしている価値、といったことを日頃から考えている社員は、目的をきちんと置いて、お客様に対しても良い仕事をしていくことができるからです。惰性ではなく自分で考え抜くからこそ、仕事へのやりがいや関心も高まります。
そういう「社員の考え抜く習慣」が保障されうる環境を組織が用意することこそ、こうした環境の下で経営がまず最初にしなくてはならないことなのです。

極限まで厳しい環境に直面している今という時代の特性は、まさに、本物の人と組織の力がなければ生き残っていけないところにあります。その意味で、いきいきと考え成長していく人の力が業績を生み出していく「正道を行く経営」をきちんと推し進めていかない企業は、いくら戦略で舵を切ろうとあがいても、もはや淘汰されていくしかない時代に足を踏み入れている、ということでしょう。