キャッチされないまま社員の足もとに転がるボール

けれども、経営がいくら方針を示し危機感を訴えたところで、長期にわたる安定したビジネスモデルの上に築かれた組織や仕事のしかたというのは簡単には変えられないのが現実のようです。
経営が決死の思いで投げたボールも多くの場合は、キャッチされないまま社員の足もとに転がってしまうのでした。

保守的な業界体質に守られてきたC社でも、経営トップが同じような悩みを抱えていました。

他業界を経験してきたC社の社長は、今の業界の閉塞的な状況に先行き不安を感じ、まだ業績が好調な時期にあえて自らの手で業界を変えたいと思い、「材料会社から技術知識の専門会社への転換」という方向性を打ち出しました。
ところが、社長の頭には中長期で描かれている筋書きも、それを共有していない役員やマネジメント層にとっては、唐突に思いついた抽象的で現実感のない方針にしか見えません。ましてや一般の社員となると、現場を知らない社長が夢のようなことを言って我々を困らせているのではないかと、経営に対する不信感さえ抱いてしまうのです。
当然、現場では方針を具体化、実行していく仕事の優先順位が上がることはなく、社長は焦燥感をつのらせていました。

しかし、1年もたたないうちに市場環境が急激に変わり、C社の売上げは激減することになります。

社長は、無念に思うからこそ強い意志をもってこう話します。
「あのとき現場が本気で取り組んでいれば、ここまで業績は悪化しなかったかもしれない。でも、今まで社員は自分の売上げを上げることで評価され、日々それだけを目的にして頑張る環境の中で過ごしていたのが現実です。そんな仕事をさせてきた我々に責任があるのだから、いきなり過去の常識を捨てろと言っても受け取れないのは当然でしょう。あきらめずに変革を推進していきますよ」

方針の背景や意図などを何度も発信すること

社長が投げたボールを社員が受け取るためには、強制的に理解をさせるのではなく、その方針の背景や意図などを何度も発信すること、そして「何のためにやるのか、我々の目指す方向性はどこなのか」などを社員が自ら考えて議論する時間を、優先順位を上げてつくることが必要です。お互いが歩み寄っていくそういうプロセスのなかで、社員が経営の決断を自ら腹に落としていくことが、社長の投げたボールを受け取ることになるのです。

やはり、「大量生産から小ロット多品種へ」の大きな転換期を迎えている製造業のE社の社長はこう言います。
「業績がどん底に落ちた時、私は本気で会社を建て直すために方針を大きく転換しました。経営メンバーと議論を重ね、社員に考えてもらう場を何度も開催し、私自身も議論の場に入っています。新しい方向性を具現化するために必要な技術研修も優先順位を上げて業務時間内に実施しています。正直なところ、社員にとっては大きな負担になり抵抗感が生まれるのではと心配していましたが、何人もの社員が『私たちにこんな機会を与えてくれてくださってありがとうございます』と言ってくれたのです。私は正直、涙が出るほど嬉しかった」

C社もE社も大きな転換期を迎えています。今変わらないと3年後はないと、両社の社長は口をそろえて言います。
いろんなボールを社長はこれからも投げ続けなければならない。どのくらいの社員が自分の意思で柔軟に考え動いてボールを受け取ってくれるか、それが会社を持続させていく条件になるのです。