・業績が低迷しているのに、危機感がない。
新社長のもと、社員が自ら動き出すまで<前編>
2003年、名古屋鉄道の業種の異なる系列会社3社が合併した名鉄EIエンジニア(旧 メイエレック)は組織や意識の縦割りを崩せず、業務上のミスの連発や業績低迷に苦しんでいた。2016年に就任した清水良一・新社長は風土改革の必要性を感じて自らが旗を振り、今、社員で組織されたプロジェクトチームが会社に風を起こしている。(2017年取材)
- 部長クラスを中心とした推進チームを発足
- 社員アンケートを皮切りにスタートした施策の数々
・業績が低迷しているのに、危機感がない。
1990年、名古屋鉄道に入社。鉄道業務の中でも土木出身。関連する第3セクターの鉄道会社への出向を経て、2011年に名鉄EIエンジニア(旧 メイエレック)へ。その直前には6年ほど労働組合に従事。名鉄及び関連各社の組合支部長を務めた経験から、会社の状況を外から見ることができる立場を経験していた。業務改革では清水社長の采配でG7に抜擢される。
1987年、名古屋鉄道に入社。人事部にて給与業務を経験したのち、1992年に名古屋電気工業(株)へ。総務に長年携わる。名鉄EIエンジニア(旧 メイエレック)創業時には西部センターにて、100人規模の庶務を経験したことから、現場の大変さ、大切さを実感している。現在は総務・人事給与等の業務をこなしながら、560人の縁の下の力持ちとして日々邁進中。
旧3社の合併後も縦割りが残り、業績も悪化
名古屋鉄道(以下、名鉄)の関連会社である名鉄EIエンジニア株式会社(旧 株式会社メイエレック)は、主に名鉄グループ全体の電気関係工事全般を扱う総合電気会社。2003年、名鉄の信号部門が独立した名古屋電気工業(株)と、通信部門が独立した名古屋電子エンジニアリング(株)、電路・変電部門の名鉄エンジニアリング(株)の3社が合併して誕生した。
合併後も名鉄グループ内の仕事を受けられたことや、2005年の愛知万博開催と中部国際空港の開港など大きな受注が続いていたため、営業努力をしなくても業績が上がっていた。しかし、2010年前後から大型受注が減り、さらに施工のミスが続いたことから、合併後から生じていた小さな歪みが徐々に大きくなっていく。
当時、名鉄から、名鉄EIエンジニア(旧 メイエレック)に移籍し、現在総務部長を務める植木伸一さんは「名鉄本社は不信感を抱いていたと思います」と振り返る。また、合併前の3社の経営幹部がそのまま残っていたこともあって、「人事と業務と意識の縦割り」が続いていたことも、じわりと売上高減少とミスの増加へと影響し、気づけば、4期連続の業績低迷という状況に陥る事態になっていた。
もちろん、手を打たねばならないと、当時品質強化チームだった植木さんが社内を回るも「業績が低迷しているのに、役員も含めて危機感がないと感じました。ミスへの対応は例えば、チェックシートのチェックシートができるといった状態で実際には機能しなかった」という。変革に向けてどこから手を付ければよいのか、暗中模索の状態が続いていた。
電気も通信も知らない、文系出身の新社長が風土改革をぶち上げる
風土改革は2015年6月、名鉄本社からの命を受けて5代目の社長として清水良一社長が着任したことからスタートする。「文系出身で、電気も技術も関係ないから選ばれたのかもしれません。社員も驚いただろうと思います(笑)」と清水社長は振り返る。
「社内を回ると縦割りなのがよくわかりました。鉄道の何万ボルトの電気を扱う“強電”と、通信などの数十ボルトを扱う“弱電”とは違うといった縄張り意識もありましたね。会社の空気、社員の意識を変えるにはどうしたらいいのか、どこから手を付けていいのかわからない。そこでやろうと思ったのが、社員全員にアンケートを採ることと、風土改革をぶち上げることでした。たまたま親しい方にスコラ・コンサルトさんを紹介してもらって相談しました」(清水社長)。
1980年、名古屋鉄道入社。鉄道事業部門で運輸省との交渉などを長く経験したのち、関連会社のホテルに出向。その後、鉄道事業部門に戻り、駅を管轄する支配人、営業部長を歴任し、名鉄グループの商社である名鉄協商を経て2015年6月、名鉄EIエンジニア株式会社(旧 株式会社メイエレック)の社長に就任する。初の文系畑からの社長就任だったため、当時は「グループ内の人事で最大のサプライズ」と驚かれた。