どの会社、どの組織にも、放っておくと将来が危ぶまれるような重たい課題が一つや二つはあるものです。主力事業の赤字が続いているのに、新たな成長分野への転換が遅々として進まない、深刻な品質事故が増加しているのに、その背景にある社員のモラール低下を経営が認めないなど、放置されている重要課題は会社によってさまざまです。そのまま誰も根本的な解決を図ろうとしなければ、会社はいつか破綻に至ります。
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なぜ破綻に至る重要課題が放置されるのか
そんな存続に関わるほどの重要な課題が、どうして放置されてしまうのでしょうか。
どこの会社でも、重要な課題が最初から取り上げられない、議論されないことはありえないでしょう。しかし、議論をしていくうちに、これまで経営陣が出してきた方針に根本的な問題があったのではないか、特定の部門の施策に判断の誤りがあったのではないか、といった「組織にとって不都合な事実」と向き合わざるをえない状況になります。
最終的には責任者にたどり着くような踏み込んだ内容であっても、会社全体のために重要なことは率直に指摘し合える風土がない場合は、この段階で議論がストップしてしまいます。そして、そういう状態が3年、5年と続くと、「この課題を解決するのは無理だ」という見方が定着し、もはや誰も本気で解決しようとしなくなってしまうのです。
会社が倒産に至る過程において、まさに「風土は業績に直結」していた
前々職で経験した会社破綻までの道のり
私が前々職で長く勤めた会社では、十数年以上前から「労使間の信頼回復」が会社の最重要課題の一つになっていました。社員の誰もが常に意識し、局面ごとに労務部門を中心にあれこれと手は打たれてきたものの、やはり根本的な解決には至りませんでした。
社内には、労使間の信頼を回復するためには、会社の労務政策の一部に問題があったことを認めるべきではないかという見方もあったのですが、特定部門の批判になるような議論は許されない雰囲気、混乱を避けようとする自己規制がありました。いわゆる相互不可侵条約です。結局、皮相的な対応に終始したまま年月が過ぎていきました。そのうちに、「これは業界特有の極めて難しい問題である」と現状を肯定するかのような見方が支配的になっていったのです。
もう一つ、この会社の存続に関わる重要課題に「赤字事業からの撤退」がありました。
経済全体が低迷する環境下において、会社のバランスシートは、刻々と近づきつつある「破綻」の可能性を示していました。それほどまでに危機的な状況にあっても、赤字事業からの大規模な撤退についての議論はなされませんでした。もしそれを断行するとしたら、大幅な人員、設備の整理・縮小が必要となり、監督官庁との関係も悪化します。
この、いつかは直面するけれど、今の自分たちにとっては「不都合な事実」を避け、むしろ、業績低迷の理由を社外に求める、それを上手く説明する人が評価されるような風土の中で、その事業は赤字を垂れ流したまま、徐々にバランスシートを毀損していきました。そして、会社は破綻したのです。
会社破綻の最終的な責任は歴代の経営陣にあるわけですが、事ここに至るまでの長い歳月、いったい誰が、いったい何が、この重要課題の先送りを許してきたのでしょうか。それは、この会社の風土、そして私を含めて、そういう風土を容認してきたすべての関係者の責任だと思っています。会社が倒産に至る過程において、まさに「風土は業績に直結」していたのです。
「風土」がじつは「業績」と密接に関わるものだという認識の変化
会社の風土を変えるのは決して簡単ではありませんし、時間も労力もかかります。しかし、風土の問題に手をつけず、戦略、計画、人員体制の変更などテクニカルな施策だけで、これからの時代を生き残っていくことは困難でしょう。高度成長時代は、伸び続ける収益がバランスシートを改善してきたので、それほど深刻な状況に陥ることはありませんでした。しかし、いったん成長が鈍化しはじめると、状況は一変します。リストラやコスト削減が限界に達したあとは、これまで重要課題の放置を許してきた風土の改革に真正面から取り組むことが生き残りの必須要件になっているのです。
最近、業績低迷から抜け出すための方策として風土改革の相談が増えている背景には、これまで正面には据え切れていなかった「風土」が、じつは「業績」と密接に関わるものだという認識の変化があると感じています。
会社の問題も今の日本が抱える問題の縮図
今日、政治、経済、社会の情勢が絡まりながら地球規模で変化していくなかで、私たち日本人は、防衛、福祉、税制、自由貿易協定など多くの重要な問題への対応を迫られています。けれど、そのつど不都合なことから目を逸らし、利害の対立を招きそうな議論を避け、根本的な解決を延々と先送りしてきました。
これまで述べてきた会社・組織の問題も、今の日本という国が抱える問題の縮図であるとも言え、なおさら私には見過ごすことができないのです。