日本においても少し前までは同じような状況が見られました。事故原因を究明するよりも、責任者や担当者の処罰に重きが置かれ、安全対策といえば屋上屋を重ねるようなルールやチェックリストの追加、教育訓練の徹底など対症療法的なものが中心です。結局、問題はくすぶり続けて本質的な再発防止には結びついてきませんでした。

大きな事故やトラブルなどの問題が起こるたびに必ず指摘されるのが「組織風土の問題」です。逆にいえば、それが予防や再発防止のカギを握ることは明らかなのですが、息の長い組織風土や企業文化の改革については、具体的な糸口を見つけにくく、多くの場合は表面的な対策に終わっているのが実情ではないかと思います。

安全向上やリスク低減などの活動がハード面の施策や問題潰しの対策にとどまらず、問題の発生源となる風土や文化のありようにまで踏み込んでいくためには、具体的に何をすればいいのでしょうか。さらに、VUCAといわれる今日の環境において、変化を前提とした「安全」の取り組みはどのように変わっていくのでしょうか。

ここでは2回にわたって、私が関わってきたJR東日本の「チャレンジセーフティ(以下、CS)運動」を取り上げ、「安全」の考え方と活動の進め方の変化、活性化を維持する活動の「成果」をどのように捉えたらよいかということについて、考えていきたいと思います。

安全マネジメントのパラダイムが変化~「失敗をなくす」から「変化に対する抵抗力を強化する」へ

私は、以前「安全やコンプライアンスと組織風土の関係」のコラムでも紹介したJR東日本の「CS運動」において、活動の活性化や安全文化構築のための価値観を転換していく支援を行なってきました。

2004年から5年間、CS運動活性化の推進リーダー研修と各支社のフォローに関わり、その後、2019年から2021年までの3年間は「進化研修」を担当することになりました。
前の研修からは10年以上が経過し、CS運動の推進体制や取り組み内容はかなり進んだものになっていました。現場の安全に対する取り組みの考え方も以前とは大きく変わっています。
したがって、2019年からの進化研修は、これまでの活動の成功要因を明らかにすることで、さらなる取り組みの進化をめざす内容になりました。

初期のCS運動の取り組みは、「事故のない安全」をめざし、事故の“芽”になる人為ミスをなくすために管理体制やルール、教育訓練などを強化してきました。
こうした従来の取り組みに対し、近年になると、外部環境の変化によって想定にない新たなリスクや問題が出てきて、単に「事故率低減」を目標にするだけの取り組みでは現実に対応できなくなっています。

設備やシステムへの投資で事故は身近なものではなくなり、失敗経験から学ぶ機会は少なくなりました。一方で、激甚災害やサイバー攻撃など、これまでなかった未知のリスクに“人の感度(感覚)や判断で”対応していかなければならなくなってきました。
そのため安全への取り組みも、事故が起きない状態を維持するという考え方から、“レジリエンス・エンジニアリング”にもとづき、「柔軟に変化対応することで正常な状態を維持する」ことに重点を置く考え方へと変化しています。

Eric Hollnagelという人が提唱した〈Safety-Ⅰ〉と〈Safety-Ⅱ〉という、安全に対する2つの概念があります。Safety-Ⅰは、「なぜうまくいかなかったのか」
を考え、失敗や欠点を除いていくことに焦点が当てられています。
一方Safety-Ⅱは、「なぜうまくいっているのか」に着目し、人間による調整の可能性を拡大する考え方です。

Safety-Ⅰは、望ましい状態(あるべき姿)から何が欠けているかを追及し、期待される行動をマニュアルやルールで規定するものです。うまくいかない原因を排除することで安全を探究する考え方といえます。
それに対し、Safety-Ⅱは変化を常態ととらえ、変化に対応できるありたい姿、なぜうまくいったのかを明らかにすることで、破局的な状況を回避する能力を重視します。

安全向上のための学習には、1万回に1回起きる失敗事例に目を向けるよりも、9999回の成功や良好事例を対象にする視点が大切です。「そうありたい」という
前向きの感情やうまくいった努力に注目することは、自分たちの組織に対する信頼や誇りにつながることでもあり、安全風土や心理的安全性を考えるうえでも重要なポイントになります。

以下では、そうした背景と考え方の変化を見ながら、私が研修で関わったCS運動の進展をたどってみましょう。

【CS運動:活性化研修(2004年~2009年)】

JR東日本のCS運動は、Hollnagal がSafety-Ⅰ、Safety-Ⅱの概念を提唱する以前から取り組みが続けられています。
“当事者の自律的なリスク回避や低減の行動が起きやすい職場風土と安全文化の構築”を目的にした初期の「活性化研修」では、上意下達(外発的動機づけ)の進め方ではなく、社員一人ひとりの自主性を促す(内発的動機づけ)ために価値観の転換を行ないました。
「何でも話せる」職場風土に変えて問題が顕在化しやすい状態にし、現場の社員が失敗から学んで前向きに「自ら考え行動する」当事者意識を醸成するためです。

ポイントは、初期の頃に行なっていた、ルールやマニュアルを絶対とする規範を重視し、活動を形式的・一律に進めていくやり方から、現場第一線の社員が自ら考え、チームで模索しながら活動を進化させていくことをめざすやり方への転換でした。

この取り組みを5年間にわたって続けたことで、職場内で問題を隠さず相談できる関係をベースに、現場が情報を共有しながら自分たちで考えて活動を推進していけるようになりました。その学習経験が生かされて、のちの東日本大震災でも人的被害を最小限に食い止めることができたと言われています。

【CS運動:進化研修(2019年~2021年)】

年々、現場社員の世代交代が進んでいく中で、昨今の社会環境の変化における新たなリスクの発生に対応するためには、遵法意識や安全意識の教育だけではとても追いつきません。これから安全を担っていく若い世代の安全意識や感度をどのように高めていけばいいのか、また新たな課題が生まれています。
本社の担当部署でも、活動方法のマンネリ化、運営体制の硬直化などを打開するための施策や活動推進の方策を探っていました。

ちょうどその頃は、レジリエンス・エンジニアリングという新しい安全の方法論が取り上げられ始めたタイミングでした。
そこでCS運動の推進も、失敗ではなく、成功やなぜうまくいっているのかの要素に着目するSafety-Ⅱの考え方やものの見方をヒントにして、これまでの取組みをさらに活性化しようということになりました。
これまで活動に積極的に取り組み、成果をあげている職場を取り上げ、その成功要因を分析することによって、さらなる活性化と全社的な活動のレベルアップを図っていくことにしたのです。

その直後、予期せぬかたちで起こった2020年からの新型コロナ感染拡大では、新幹線もガラガラの状態で運行する事態に見舞われ、交通事業各社は乗客数の激減による赤字に陥りました。安全もまたVUCA環境を前提に見直し、考えていくステージに入っていきます。

そうした環境変化の中で、JR東日本も大勢が一堂に会する安全フォーラムや対面での研修、会議などは開催できなくなりました。CS運動も、全社員へのタブレット支給などによる業務のデジタル化と並行して、かたちを変え、模索しながら各現場での取り組みが続けられています。

終わりのない安全活動を続けていくために

JR東日本ではこのようにして歩みを進めながら、現場の社員一人ひとりの安全感度を高め、自律的なリスク回避や低減の行動をとれるような状態をめざして、CS運動のレベルアップと活性化に取り組んできました。その取り組みは、顧客対応を含めたさまざまなリスクの低減につながるような本質的なものへと確実に進化しています。

これからますます不確実性が増していく時代になっても、終わりのない安全の取り組みを止めることはできません。
変化していく環境に適応しながら発展的に活動を続けていくためには、職場を挙げて活動の活性化を維持していくための組織的なしくみや働きかけが不可欠です。

では、ふり返って、何がこれまでの活動に「活性化」をもたらすカギになっていたのでしょうか?

次回は、進化研修の表彰職場を対象に行なった調査をもとに検証した「うまくいっている要因」の仮説モデルを取り上げ、安全の取り組みを継続・進化させていくにはどんな条件を整える必要があるのか、について考えていきたいと思います。

(後編につづく)