若い世代の社員というと、出世には興味がない、目標もない、向上意欲もあまり感じられない。そんなふうに見ている人も多いのではないでしょうか。
先輩たちからすると淡白でつかみどころがなく見えたりもするのですが、もっと丁寧に若手の声に耳を傾けると、奥底にはそれぞれの仕事に対する思いや願いが潜んでいます。
そうした個人の思いや願いは「その人らしさ」が生かせる環境の中で引き出されていくものです。従来のような「どうやって成果を出したか」のスキル、「どのくらい行動したか」の量ばかりが重視される組織では、気づいて開花させることができません。
若手がいきいきと働くためには、もっと自分の思いを乗せた仕事ができる、個性が生かされる組織へと「あり方」を変えていく必要があるのです。
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成長欲求と退行欲求~「ラク」を選んでも幸福感は下り坂に
心に関する本をたくさん書いている加藤諦三氏の著書によると、人間は「成長欲求」と「退行欲求」の2種類の欲求を持っているそうです。成長欲求は「自分らしく生きたい」という欲求。退行欲求は「楽をしたい」「不快を避けたい」という欲求です。
ある会社の若手リーダー研修でこの話をしたところ、(そこに参加している人は将来を期待されて選ばれている人たちなのですが)、かなりの人が「私は、ほぼ退行欲求でやってますね」と即答しました。
即答するということは、どちらの欲求で動いているのかわからない状態ではなく、はっきりと「楽をしたい」「不快を避けたい」という欲求に自覚があるということです。
成長と退行、どちらにせよ人間が持つ欲求ですから、それを自覚して努力しているのであれば問題はありません。
ただし注意が必要なのは、加藤氏が提唱している理論によると、退行欲求のほうばかりで動いていると楽ではあるけれど、長期的には幸福感が低下していくという問題です。だんだんと人生がつまらなくなったり、自分に自信がなくなったりするのです。加藤氏はそれを「地獄に落ちる」という過激な言葉を使って表現しています。
逆に、成長欲求にもとづいて動くことには勇気が必要で、自ら拾った苦労や困難にも直面しやすくなります。自分らしくありたい欲求から自分自身を貫こうとすると、どうしても周りとの軋轢が生じたり孤立したりもするわけです。しかし、長期的にみると、こちらを大事にして生きているほうが幸福感は高いのです。
行動の根っこにある「成長欲求」に焦点を当てる~自分で考えてやることの意味
これまで私の見てきた感じでは、企業で働く人たちは退行欲求にもとづいて動いている割合が多いように思います。
たとえば、以前の組織風土改革の現場では、管理されることに不満を持つ社員が、その不満のエネルギーから改革行動に向かうケースが多かったのですが、今はというと、「日々を安全に過ごしたい」という欲求が全体として強くなっている雰囲気を感じます。
傾向としてはそうなのですが、じつは個々の仕事の日常の中には成長欲求が垣間見える瞬間があります。
以前、お手伝いしていた会社で「真の顧客本位」を組織風土の中心に据えようと努力しているチームがありました。このチームは徹底的に議論を重ねて、そのコンセプトを生み出しています。メンバーたちには、その意味あいや意義が自分のものとして腹に落ちていました。
そんなことから、あるメンバーが自分の職場にもこのコンセプトを浸透させたいと考え、周りの人たちに働きかけてみました。具体的には、議論をする場への参加の呼びかけです。
ところが、みんなはピンとこない風情で、一向に彼の話に乗ってくる気配がありません。気勢をそがれた彼は、職場を巻き込むことを一度はあきらめかけたのですが、よくよく職場の人たちを観察していると、どうもそれぞれに「自分なりの顧客本位」らしきものがあり、それにもとづく行動をとっていることに気がつきました。
結果として、“その人なりの顧客本位”に焦点をあてる議論にすることで、一人ひとりが「真の顧客本位」をめざす動きに合流していったそうです。
「自分らしく人の役に立つ」ことは、成長欲求の一つの現れ方です。
彼は、人々が無意識にとっている成長欲求からの行動に気づいて、それぞれが自分で考える姿勢を大事にすることで、全体としての変化の動きをつくることができたのです。
自己認識によって行動が変わる~本人も気づいていない“自分不在”の生き方
私は、若手に対しても同じことが言えるのではないかと思っています。
通常、若手の多くは組織の目標、上司や周囲からの要求、期待に応えようと自分に無理をして仕事をしています。ある面で“自分不在”の仕事の場合は、本気でやるというより「楽なほうがいい」に決まっています。退行欲求にもとづく仕事だからです。
しかし、現実にはそればかりではなくて、どこかしら自分の正直な思いや気持ちを込めて、自分らしく工夫してやっている仕事もあるはずです。
上司は、そこに本人の意識が向くようにして、徐々にでもいいから「自分らしさ」を生かした仕事のやり方を増やしていけるように手助けをする。そんな成長欲求に気づけるサポートをして、個人が自分自身のありようを変えていくようになることが、若手のやる気の向上につながっていくのだと思います。
私の同僚が大学で講義を担当しているのですが、その中には、内容に関心を持ちきれていないのか、やる気が見えない学生もいるようです。そこで同僚は、授業の中で学生たちに「自分は何をしたいのか」「どうなりたいのか」を自分なりに考えて、書き出してもらう時間を数回とったそうです。すると、どういう認識の変化があったのかはわかりませんが、いきいきとした表情で前向きに授業に臨むようになったそうです。
このことからみても、日ごろ自分が心の中のどの部分に意識を向けているかによって、人のやる気が変化することがわかります。
いまだに多くの企業では、目に見えて形になる「何かをやること」が奨励され、考えるよりも、とにかく行動することが大事だという行動至上主義が主流になっています。「これをやっていけば間違いない」という右肩上がりの時代には、人は型にはまって動く“没個性”でもよかったかもしれません。
しかし、今は過去の経験上に正解がなく、多様な人々の考えや知恵を集めて答えをつくっていく時代です。一人ひとりの違いや個性が創造のカギなのです。
そういう時代には、個々が「自分らしさ」を拠りどころにしながら自信をもって楽しく仕事ができる環境、そのための上司の働きかけが必要になってきます。
それと同時に、一人ひとりが「今、何が起こっているのか」や「自分が今やっていることに充実感はあるか」など、今ここで起こっていることを “もう一つの目”で見る認識の力が必要なのです。
〈拓く場〉で固定化した認識をひらいていく~「気づき」と向き合う場の力
私たちは最近、対話によって思考や議論の質を高めていくオフサイトミーティングを指して「拓く場」という呼び方をしています。ここでいう「拓く」には、いろんな意味が込められています。
他者とともに、答えがすぐには出ないテーマで対話をすることによって、自分の凝り固まった思考や視野を拓く。あるいは、不安や恐れで閉ざしている心を開く、という意味もあります。
閉じている頭や心が開いていくと、今まで気づかなかった自分の思いや意志が顔をのぞかせてきます。普段の自分は馴染みのある思考パターンで認識が固定化しています。〈拓く場〉で認識の異なる他者の話を聴いたり、前提や目的を問い直す本質的な投げかけがあったりすることで、馴染みの思考パターンの覆いが取れて気づきが生まれます。
そんな自分の中のちょっとした「気づき」と向き合うことから思考の変化が起こり、成長欲求が立ち上がって現状の打開が始まるのです。
以前、いろんな学びをしているZ世代の女性から教えてもらいました。「気づきに気づくことが大事なんです」と。たしかに、ちょっと気づくことがあっても、その気づきが快いものではなくて難しさや不安を感じたら、すぐに消し去ってしまうものです。そういった「気づき」と向き合って自分を客観的にみる認識、自分は今どの欲求にもとづいて動いているのかという認識。そういった目に見えにくい内面を認識する力をつけることで、若い人たちも徐々に前を向き、意欲も高まっていくのだと思います。
〈拓く場〉は、他者を通じて自分に気づき、仲間とともに自分を拓いていくことが可能な場です。そういう意味で、個人も組織も成長モードに転換していく一石二鳥の機会ではないかと感じています。