人的資本経営とは、人材を「資本」としてとらえ、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です。企業ではこのための情報開示が上場企業から義務付けられるようになったため、いかに実現するかについての情報が各種媒体で多く報じられるようになりました。
おそらくこの流れは、近いうちに自治体や行政組織にもやって来ることでしょう。
そこで、今の企業の動向を垣間見つつ、行政組織においても取り入れるとよいと思われる課題とポイントを3つお伝えしたいと思います。

トップと職員が一体感を持って変わっていく

これまでも時代の節目では、急激な環境変化に伴って企業の変革が求められることがありました。
それは新しい商品やサービスの開発から、事業の多角化や撤退、グローバル展開、買収や合併、グループ全体の再編までさまざまです。そんな中、今回の生成AIを含むDXや、少子高齢化に伴う労働力人口の不足とコロナ禍で加速した働き方改革や生産性の向上には、これまでの量的な変革よりも質的な変革のウェイトが高まってきている気がします。そのため、小手先の手法ではすまされない“トランスフォーメーション”が必要になっているのでしょう。

それには社長や役員などトップの経営陣が自ら率先して変わろうとする本気を語り、姿勢として示して組織全体に働きかけていくことが不可欠です。そこから組織内にうねりが起こり始め、取組が広がり、
やがて一体感が生み出されるようになってきます。

しかし、自治体ではトップが組織を牽引していくことが企業より何倍も難しいと感じられます。
それは、首長が公選で選ばれ、職員の身分とは大きく異なる存在だからです。経営全体に責任を持つ存在は首長と副首長だけであり、その関係も、多くの企業では前社長がCEOとして残ってCOOを支えている二重構造とは異なります。また、自治体の幹部層には、専務取締役や常務取締役となる存在は不在で、各部局長は縦割りの執行役員として機能している状況です。

そこで、首長が行政組織のトップとして職員と一体感をもって変革に臨むには、まず首長から副首長と部局長までの幹部層が思いを一枚岩にしていくことが、取組当初の重要な第一歩となってくるのだと思います。

新しい価値観で取り組む人材を育てる環境づくり

企業が組織全体を変えていくとき、キーとなるのが取組を牽引できる人材の育成です。
ここで一番問題になるのは、既存の組織の役職者たちが、必ずしもその人材にあてはまるとは限らないことにあります。なぜなら、彼らは過去に功績を上げてきた人たちであり、過去の成功体験で身に着けた思考・行動が染みついている可能性が高いからです。
そのため、頭では変わる必要があると理解し、その重要性は認識していても、身体がすぐにはついていかないのです。
※この難しさについては、「X(トランスフォーメーション)に取り組むプロジェクトの落とし穴」と題して9月号のコラムに書きましたのでご参照ください。

それには、どんな人材を評価していくのかの基準を策定し、その基準で職員を評価・育成する役割を担っている人事部署も、同様の難しさを抱えています。これまでの基準によって組織を統制してきた手前、その基準を一斉に変えることは困難なものです。
いかに既存の基準と新しい基準を織り交ぜながら、組織全体の転換を図っていくのか、その道筋を築くことは一朝一夕にできるものではありません。組織の実態をとらえつつ、個々の人の能力やスキルを、その背景にある資質やキャリア全体から再評価し、それぞれの人の強みを生かしながら未知の可能性を引き出し、新しい基準に基づく人材を育成していくことが求められます。

そこで、先進的な企業では、個々の人に着目した人材育成・人材開発を超えて、人やその関係性を含めた組織を変革していく組織開発を手掛ける役割を持つ部署を設け始めました。それは、人的資本経営でも、人事戦略と経営戦略を接点づけてとらえていくことの重要性が謳われているように、個々の「点」となる人だけでなく、組織という「面」に働きかけていく支援力が必要になるからです。

役所では人事や人材育成を所管する部署に「職員課」という名称が多く付されていますが、これからは首長・副首長などの特別職を含めて能力開発や成長を図っていけるよう、より広く対象をとらえた「人事課」に名称を変えたり、組織全体をトランスフォーメーションしていくには「組織開発課」といった部署を設けることなどを考慮していくとよいのかもしれません。
また、人事を所管する役職には、政策の戦略と合わせて既存の組織にはない価値観で革新を生み出せるよう、人事の面でも経営レベルで組織イノベーションを起こしていける責任者(CHRO:最高人事責任者)を設置することがポイントになってくるのではないでしょうか。

イノベーションにつながるダイバーシティ&インクルージョン

変化が激しく先行きが不透明なVUCAと言われる環境下では、変革に向けてあらかじめ計画を立てても、そのとおりに進めることが困難になっています。計画にないことでも必要に応じて主体的に時代最適な価値を生み出すイノベーションを起こしていく、それをもとに計画も見直していける柔軟な組織づくりが重要です。
それには、同質化した一つの価値観、思考・行動パターンに留まらず、異なる価値観、思考・行動パターンを受け入れ、多様性の中からさまざまな接点で新しい結合と可能性を生み出していく機会を多く持っておくことが有効です。

例えば、組織内においては部署を越えて連携や横串を刺す取組を実施したり、組織を越えて外部との協働や共創する場面を設けたり、さらに、地域を越えて交流や連携をする人を増やすなど、各種の越境活動が考えられます。
これらは、通常の企業よりも、常に多様な主体で地域を担っている自治体や行政の得意とするところでしょう。ただし、自治体や行政は企業と異なりエリアを独占した団体であり、エリア内で職住が接近した生活のもと、終身雇用が保障されていることから、あえて担当部署や地域から出て関係を広げていこうとする職員は、なかなか見当たらないのが現状です。

そこで、これをいかに当たり前にできるかが課題となってきます。まずはダイバーシティ&インクルージョンを人材の採用や働き方の側面だけでなく、業務プロセスの中に組み入れていくことが重要なポイントになってきます。

私が代表を務めているNPO法人自治体改善マネジメント研究会では、組織マネジメントを司る役割にある副首長やその経験者を中心とした有志の方々と「自治体における人的資本経営をめざす研究会」を立ち上げ、5月から一緒に検討を重ねています。年度末には、この研究会から新しい提言を出す予定をしていますので、またの機会にその報告ができるかと存じます。