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「コンプライアンスの旗を振りかざしすぎるな」
ある企業で執行役員など幹部の不正が立て続けに明らかとなり、調査による事実確認と体制を立て直した後、その企業の代表取締役社長から言われた言葉です。その企業では資金管理や契約プロセスに対するチェックが甘かったことから、組織内に規律を持たせるべく、その社長と一緒に改善策を練りました。それだけに社長からこの一言を聞いた時、意外に思ったと同時にはっとさせられたのでした。
真意を聞くと、「コンプライアンスを錦の御旗に『あれもこれもダメ』と言っていたら、営業も何もできなくなり、組織が萎縮してしまう。程度があるはずだ」とのこと。組織を動かす経営者の視点からの指摘だと理解できます。自らの仕事を顧みることになった一言でした。
コンプライアンスで組織が萎縮してしまう――。私にも思い当たるフシがあります。法令はもちろんのこと、社内の規定・ルールを徹底させようとすると、従業員の中には思考を停止させてしまう人が出てきます。
たとえば接待・交際費。どの企業でも接待相手や一人当たりの金額等を規定しているでしょう。規定上問題ないとわかっていても、あえてコンプライアンスなどの担当部署に接待・交際費の使用の可否を聞いてくる職員がいました。その職員がまず上司に相談したところ、「コンプラ(部署)に聞け」との返事だったとか。
問題ないと思っていたであろうその職員は、後で問題になった時に備えるため、コンプライアンス部署の言質をとっておきたかったのかもしれません。「規定と照らし合わせて問題なければ、わざわざ聞く必要もなかろうに」と思いますが、問い合わせてきた職員もその上司も自分で考えるのを止め、コンプライアンス部署に問い合わせてきました。これもコンプライアンスによる萎縮の一つと言えないでしょうか。
従業員の萎縮と思考停止の事例は別の形となっても現れます。
昨今の企業不祥事で明らかにされる調査報告書などを読むと、不正に関与してしまった従業員の証言の中に「会社や上司の方針に逆らえなかった」「良くないとはわかっていたが、ずっと続いていた慣例に従ってしまった」という背景、理由をしばしば目にします。
「会社や上司の方針に逆らえなかった」という証言は、ハラスメントや労務問題の調査でも聞かれることがあります。しかし、こうした証言を聞くたびに私は思うのです。「やはり日本人は真面目なのだな」と。真面目さゆえに、たとえ間違っているとわかっていても会社や上司の指示、慣例を順守する(=comply)のです。
コンプライアンスが企業や社会の人口に膾炙(かいしゃ)するようになった一方、現実には、不適正な会社の指示や社会的に通用しない組織内の慣例にとらわれ、結果的に法令や規定に反してしまう。このようなコンプライアンス・パラドックスに陥らないためにはどうしたら良いのか。ここでも記憶に残る言葉が思い浮かんできます。
「不正をしてお金を稼ぐな」
一時期仕事を共にした米国人法律家の言葉ですが、確か”We won’t do business by wrongdoing”というような一言だったと記憶しています。この法律家はとても正義感が強く、”wrongdoing”(不正)という言葉には法令や規制、規定の違反だけでなく、職業倫理に反する行為も含めて語っていました。
業界によっては国内外の規制や法令、社内規定の制約にがんじがらめになりながら仕事をしている企業人もいるでしょう。あるいは、違法ではないけれど脱法的な手法、グレーな方法によってビジネスをしようかという局面に直面する人もいるかもしれません。そんな時に、「不正をしてお金を稼ぐことにならないか」と振り返ることが将来への分岐点となる場合があります。
現在、私は複数の企業の外部通報窓口業務とハラスメント・不正調査を支援していますが、第三者から見て些細と思われることであっても「コンプラ違反ではないか?」「ハラスメントだ」という相談、訴えを目にすることがあります。そのような一人ひとりの声に耳を傾け、クライアントとともに解決へ導くのですが、通報者や相談者の向こうにある職場環境を想像せずにはいられないこともあります。
職位による縦の関係や部署・拠点間など横の関係におけるコミュニケーション不全は、組織構造的な要因となって不正や不祥事を生みます。本社や経営・執行幹部による「管理監督の不行き届き」は、「ガバナンスの欠如」というコンプライアンスと同様に広く知られる常套句ですが、単純に言ってしまえば、会社や上層部が社内の声に対して聞く耳を持たなかった、聞こえないふりをしていただけという実態もあるのではないでしょうか。
米国人法律家はさらに、もう一言メッセージを加えました。
「何か問題だと思ったら声を上げなさい」
言外には、声が上がったからには会社や役職者はその声に耳を傾け、問題が認められれば解決すべく動かなくてはならないというメッセージも込められています。
今から約45年前に評論家・山本七平が発表した『空気の研究』は、日本人が口にする「空気」を次のように定義しました。空気とは、「非常に強固で絶対的な支配力を持つ『判断の基準』であり」、空気による決定の前では、「科学的な手段や論理的論証も、一切は無駄」となり、抵抗する者を「異端」として扱うほどの力を持っている、と。
この空気をたとえば、「文句を言わずに従う上意下達文化」「現代には不適合な組織的慣例」に置き換えてみたらどうでしょう。企業や組織の中がこの絶対的な支配力を持つ「空気」に今も覆われてしまっているならば、声を上げられる職場環境と、その声に耳を傾け、積極的・能動的に解決に向けて動く企業文化の醸成が必要だと理解できます。
空気に支配される従順さが日本人特有の性質とすれば、海外からのグローバル人材、日本で生まれ育ち日本以外の国のバックグラウンドをもつ人材を組織にどんどん取り込むのも一案です。空気を重んじる日本人の感覚には支配されない人材を登用することが日本企業にとっての多様性の真意だと考えます。
このコラムの締めくくりに私からあえて一言加えるなら、
「空気を壊せ」
となります。空気を壊せる職場の雰囲気をつくっていくには、スコラ・コンサルトが提唱している「オフサイトミーティング」、気楽にまじめな対話の実践も有効なアプローチの一つでしょう。心理的安全性を確保した上で、自分を語り、お互いを知る。率直に語り合い、課題を見つけ、時間をかけながらも組織風土を改革していく。
地政学的リスク、社会の分断、国内外のさまざまな要因から規制や法令が新たに整備され、それに伴いルールも今後さらに増えていきます。コンプライアンスとガバナンスの制度設計もさらに精緻になるでしょう。企業社会は法令順守=コンプライアンスにますます過敏になります。制度とルールが重要なのはもちろんですが、しかしそれらを守るのは人間です。
「不正をしてお金を稼がない」
「おかしいと思ったら声を上げる」
「上がった声に耳を傾け、解決へ動く」
このシンプルなルールの徹底が組織におけるコンプライアンス・パラドックスを防ぎ、組織を活性化することになると考えます。
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越守 丈太郎 (こしもり じょうたろう)
夜討ち朝駆けの新聞記者から、コンプライアンス・リスク・ガバナンス分野の調査、コンサルティング業に転じる。「聞く力」「聞き出す力」を武器に、不正やハラスメントの調査をはじめ内部通報対応などで豊富なインタビュー経験を持つ。
働く上での目標は「顧客にとって最後のよりどころになり得ること」。経営をめぐる紛争や経営を揺るがす問題への対処で調査と助言も行なってきた。
趣味は19世紀終わり~20世紀前半に建てられたレトロ建築巡り。壊されていくレトロ建築を少しでも保存・活用できないかと、趣味が高じて知的財産権を独学で始めたところ。
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