製造業のファクトリーオートメーション装置とラインの受託開発・製造を行なう興電舎(本社、埼玉県北本市)は、2017年4月に創業100周年を迎えました。会社にとって歴史的な節目となるこの年、3代目社長の鈴木博夫さんは大きな決断をします。同族経営のファミリーカンパニーから脱し、時代を超えて社員が経営を引き継いでいけるパブリックカンパニーにする。次の100年を見据えた経営の刷新でした。

鈴木さんが先代から社長を引き継いだのが80周年のとき。80年続いた会社を潰してなるものかという思いで必死に経営してきました。風土改革にも取り組みながら、社員とともにリーマンショックという大試練を乗り越え、これまで一度も赤字を出さずに100周年に漕ぎつけました。

しかし、鈴木さんは100周年が視野に入った頃から、「このままでいいのか」と考え込むようになります。「これからの時代はリーマンショックの頃より、もっと激しい環境変化にさらされる」と予測し、興電舎も自分自身もさらに大きく変わっていくべきだと思っていたからです。

社員が幸せになれる持続可能な会社づくりを経営者としていかに実現するのか、悩みに悩んだ末に出した結論は、これからの経営を信頼できる社外の人材に託すことでした。その決心ができたのは、一緒に会社を変えていくパートナーになりうる西川正巳さんとの出会いがあったからです。

どのように会社を続けていくのか、誰に会社を託すのか

「今までずっと聞いてきた話からすると、社長の中ではもう結論は出ています。鈴木さんは社員さんと一緒にこの会社を続けたいんですよ」

決め手になったのは、この言葉でした。西川さんがこう言った瞬間、興電舎の新しい挑戦は始まりました。三代目社長が初めて同族経営を手放し、自社の経営を外部の西川さんに託す決断をしたのです。

複数の会社で社長経験のある西川さんと、オーナー社長だった鈴木さんとが、ともに長いおつきあいの私たち(スコラ・コンサルト)を介して対面したのは、2017年5月のこと。
これからの興電舎を今までとは違う形で存続させていくために、“中継ぎ経営者”という選択肢もあると考え、鈴木さんは西川さんに会ってみることにしたのです。以来、二人は数か月にわたって話し合いの場を持ちました。

 

スコラ・コンサルトの経営者オフサイトなどの場を通して、もともと面識のあった西川さんに対し、鈴木さんは率直に、会社の来し方や自分自身の心情を打ち明け、悩みを相談しました。自分自身が経営を続けるべきか、それとも思い切って退くべきなのか。オーナー会社のままでいいのか、それとも大きな会社の傘下に入れたほうがいいのか。ここまでがんばってくれた社員たちが最も幸せになるのはどのような道なのか。

本音を言えば、プロパー社員の中から経営を担う人材を見つけ、名実ともにパブリック企業になることが最も望んでいるストーリーです。

しかし、自分も幹部社員たちもそこまで腹をくくるには、もうひとつ何かが足りない…。会社を背負っていろいろな可能性を模索する鈴木さんの話を西川さんは受け止め続けました。

そして二人は、どういう承継が一番いいのか、その答えを探すというより、「興電舎という100年企業をどうすることが最も世の中のためになるのか」という一点を問い続け、そのプロセスでお互いを理解していったのです。

 

こうしたやりとりが真剣であればこそ、西川さんはそこに滲み出てくる鈴木さんの、言葉になっていない真の思いを見抜きます。

「やっぱり鈴木社長は、この会社と社員さんのことが好きなんですね。辞める気にはなっていないんですよ。みんなと一緒に、もっともっとやりたいことがあるんじゃないですか」

この言葉で鈴木さんの迷いは吹き飛びました。“プロパー社員で引き継いでいけるパブリック企業になる”という夢を追いかけてみよう。この人となら、同じ方向を向いて会社を大きく変えていける、と確信したのです。

社長交代という一手を、会社を脱皮させる突破口に

西川さんは、興電舎がこれまで長年にわたって風土改革に取り組んできたことの意義を高く評価していました。「私にとってトヨタ式は『人づくり』です。風土改革も『人づくり』。そこは一緒なんです」

また、鈴木さんが長年大切にしてきた“部品の内製部門”に対する西川さんのスタンスも極めて明快でした。「内製化はもっと進めましょう。それが競争力になるんですよ」

世間のトレンドや常識ではなく、自分自身の体験知から重要だと思う原理原則をしっかり持っている西川さん。その言葉一つひとつが鈴木さんの心に響き、鈴木さんの中で確信へと変わっていったのです。

 

「西川さんのようなプロの経営者から、オーナー社長とは違う社長のあり方を、私も含めて興電舎のみんなが学べることは大きなチャンスになる」それから二人は将来の夢を語り合うようになります。

そして、めざす会社の姿を具体的に話し合っていく中で、次の100年に向けてもっといい会社にしていくための構想と、事業や経営の基盤を強化し、人を育てるという長期的な課題が浮かび上がってきました。

いずれ西川さんが引退を迎えるときには、社員で経営を引き継ぐことにしよう。そのときまでに興電舎を世界一の会社にし、経営を担える実力を持った社員が何人も育っている状態にしよう。今はそれに必要な会社の体力と環境を整えていく変化と成長のための準備期間とし、鈴木さんは長期スパンで未来を見据えて新規案件の開拓を行ない、西川さんはどんな案件でも断らずにやりきる生産現場をつくり上げる――。

こうして、2017年11月、西川さんは興電舎の社長に就任しました。鈴木さんは会長となり、興電舎は新しい歴史の一歩を踏み出したのです

守るだけでは存続できない ~祖父の代から経営を受け継ぎ、100周年を迎えた会社

興電舎は、鈴木さんの祖父が創業した会社です。社長はこれまで祖父の代から三代目の鈴木さんまで受け継がれ、創業家による経営が続いてきました。20年前、急逝した先代の後を継いで社長になった鈴木さんは、社員と一緒に会社をつくっていく全員経営へと舵を切り、試行錯誤を重ねて2017年の100周年まで会社を“存続”させてきました。この20年間の会社の変化にはめざましいものがあります。

電気の配電盤という主力事業の衰退に伴い、メカとエレキの融合を意味するメカトロニクス事業に着手し、海外への事業展開、医療分野の新規開拓などに力を入れてビジネスモデルの転換を進めてきました。さらに、売上全体の50%超を占める1社顧客への依存度を大幅に下げ、複数顧客との対等な関係性をつくり上げたことや、自社ブランドを冠した製品を完成させたことなどが、大企業の下請けや孫請けで発展してきた興電舎を、独立経営の気概を持つ会社へと大きく変化させました。

 

鈴木さんとスコラ・コンサルトとのおつきあいは13年になります。社長就任後、7年目に鈴木さんが着手した風土改革では、取り組みを通じて若手のリーダークラスが力をつけていき、先代急逝のあと抜けてしまった中核人材に代わる幹部層へと育っていきました。その若手幹部層が担い手となって進めた自律的な事業運営は、リーマンショックの苦境時においても事業の黒字を確保し、雇用を守るという成果につながりました。

しかし、昨年の100周年を前にして会社の将来や世代交代を思うと、鈴木さんの気持ちは重くなっていきます。「風土改革で育ってきた幹部もまだ30代、40代。さらに彼らはマネジメントとしての見本がないなか、独学で奮闘してきました。社長の私自身もとにかく必死に手探りでやってきただけで、決して見本になれ
たかというとそうではなく…」突き詰めて考えると、自分自身の社長としての資質や器に限界があるのではないかと、鈴木さんの悩みは深まっていきました。

「私に子供がいないこともあって、あちこちから今後についてのお話も舞い込んでくるんです。そんなとき、ふと、どこか大きな資本の傘下に入ったほうが社員さんも幸せなのではないかと思ったり」社員に対しても自分に対しても誠実にあろうとする鈴木さんとともに、私たちもあらゆる選択肢を本気で検討していきました。

見立ては、大事にするものが共通しているか

そこに置いた問いは2つです。10年、20年といった長期的視野で考えて、「興電舎という社会的財産をどうすることが世の中にとってベストなのか?」「鈴木さんというひとりの人間の人生にとって、何が最も幸せなことなのか?」なかなか答えは出せませんでした。会社をいくつかに分けて法人化し、幹部社員を社長に据える、というような案も出ましたが、どこか無理のある非現実的な感は否めませんでした。

そんなとき、前の会社を辞めた西川さんが社長職を探されているという話がスコラ・コンサルトの同僚を通じて飛び込んできたのです。

 

スコラ・コンサルトには、クライアント企業のコアメンバーと、ビジネスのつき合いを超えて長年にわたる交流を持ち続けているメンバーが少なくありません。何人かのメンバーは、西川さんを自分の支援企業の現場に招いたり、西川さんの経営する会社の工場に見学に出向いたり、といった関係を長く続けてきていました。

情報をくれたのは、もともと興電舎の支援に長く関わってきた中堅中小企業支援チームのメンバーでした。興電舎の志向性や文化に、西川さんの持ち味がぴったりはまるのではないかと、担当の私に提案をくれたのです。

「工場長ではなく、社長でなければ本当の改革はできない」と、つねづね口にする筋金入りの行動派の西川さん。今の鈴木さんが経営に求めているものはそれではないか、鈴木さんならばそれを受け入れる度量と柔軟性があるのではないか、と考えたのです。

両者の共通項は、自ら考え動く人づくりと事業の成長を両輪で考えていること。二人が会って話をすれば何かが始まるのではないかという、その感覚、読みは間違っていませんでした。

次回は、企業を超えたコアネットワークと、新社長を迎えて3カ月たった興電舎のめまぐるしい変化のようすを紹介します。

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