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「自発的な協力が得られない」という職場
実験では、2つのブースにチンパンジーを1匹ずつ入れ、片方は、道具を使えばジュースを取れる状態、もう一方には、ステッキだけを渡します。すると、ステッキがあればジュースが飲めると思ったチンパンジーのほうが、「お願いだから貸して」と手を伸ばし、隣のチンパンジーは、「仕方ないなあ」と言わんばかりにステッキを手渡したそうです。6つのペアで実験を繰り返したところ、ステッキを渡したケースのうち75%は、相手の要求に応じたものであり、自発的に道具を渡すことは、ごくまれだったということです。
この実験からもわかるように、「見返りがなくても手助けをする」という行動特性は、ヒトだけではなく同じ霊長類のチンパンジーにも見られるものだったのです。
さて、人間社会での協力関係はチンパンジーからさらに進化して、相手の求めがなくても「自発的に手を差し伸べる」という特徴を持っており、この“自発的な協力”という行動特性が、豊かで高度な人間社会を支える基盤となっています。
しかし、最近の企業社会を見ると、こうした“ヒト”の本来的な行動特性に反して、「自発的な協力が得られない」という職場が増えてきているのではないでしょうか。人類の進化をこれまで支えてきた“人間らしさ”が失われてきているようにも見えます。
こうした現象について、今日の人間には進化の方向性に逆行する「負の学習」が生まれている、と見ることもできるのではないでしょうか。
負の学習とは、「これをやると損になる」「この価値基準で動くことは自分の利益にならない」といった、ある種の社会における適応として、不自然な(=自然の進化の流れに逆らう)マイナスの考え方や習慣を獲得してしまうことを言っています。
人間にとって本来、組織とは、仕事の中で学び合い、多様な個性や経験の相互作用によって生きるための新たな知恵が創造される場であることが理想です。しかし、組織の中に「負の学習」が働いているとすれば、それは組織自身の生きる力を低下させ、価値を創造する活力を阻害する要因を抱え込んでいることにほかなりません。
なぜ「負の学習」が起こるのか?
それでは、なぜ「負の学習」が起こるのでしょうか。その原因はたくさんありますが、企業組織においては、特に、評価制度の影響が大きいと考えられます。
近年の評価制度の潮流である成果主義は、目に見える結果としての個人成果に評価が偏り過ぎており、他者へのサポートや、全体最適を考えた連携のような目に見えにくい成果についてほとんど評価がなされていないことは、よく問題点として指摘されます。
こうした評価制度は、社員に対して、自分の成果をあげることを最優先に考えざるを得ないという利己的な判断基準をもたらします。
そして、必要ならば自分の損得をひとまず脇に置いても、組織全体の目的達成のために協力しよう、誰かが困っていると見れば手を差し伸べようという自然な気持ちの発露を妨げてしまっているように思います。
これは本来、個人の意にそわないばかりではなく、ヒトの本性にも反する状態でしょう。
「困っている人がいれば協力しよう」「全体の目標達成に向けて協力することが当たり前」といった規範が共有された組織で働く個人は、助け合いの中で人から感謝され、また信頼を獲得します。その感謝や信頼は個人にとっての内的報酬になります。しかしそれ以上に、社会の中に生きるヒトにとっては、自己と他者の間で共感や協働、学習が促進され、人間として成長していくことや、人の役に立っているという実感が大きな喜びなのです。
助け合いが生まれやすい組織風土の形成こそ、今の組織の閉塞的な状態を打破していくカギを握っています。そのためにも、組織は負の学習に陥ることなく、本来人間が持って生まれた「困っていると見れば自発的に手を差し伸べる」といった自然な行動特性が引き出されるような環境、「正の学習」風土に変えていくことが必要です。
そのような、人の本来もつ性質や能力を発現させる方向へと組織学習の方向性を定めていくことは、長い長い時間が育んできた人類の進化の叡智に学ぶことでもあります。
チンパンジーでさえ、「求められれば自分に利益がなくても手助けをする」利他行動が見られるというのに、サル以上に進化したはずの人間が、本来の進化の成果を生かしきれずにサル以下の社会を形成しているとは皮肉なものです。
協働から相互の学びが起こり、結果として組織が進化し続けることは、企業の長期的な成長を導く確かな筋道です。
私はこれからも、協力や助け合いの中から人が学習・成長し続ける、そのような組織や社会を形成していきたいと願っています。