人に手助けを求めることが当たり前にできない?

「どうして難しいと思うんですか?」と私が問いかけると、他のメンバーからも、「自部門の弱みを見せたら、他部門から突っ込まれる」「弱音を吐いたら、上司から叱られる」「困ってるって言っても、どうせ助けてもらえないし」などの言葉が続きます。
私にはそれが思い込みのように聞こえたので、「本当に困ってるんです、力を貸してくださいって言ってみたことありますか?」と聞いてみました。すると、しばらくの沈黙のあと「そんなふうに直接言ったことはないよなぁ」という声がポツリとこぼれました。

みんなで助け合ったほうが仕事はうまく進む、と心の中では思っていても、今の会社の中には、人に手助けを求めることが当たり前にできない状況があるようです。

ひとつには成果主義の弊害があるのかもしれません。
「自分の仕事に問題はない、うまくいっていると周りに思わせたい」「他人の仕事を助けても評価されない」「他人の仕事を手助けすると上司が評価に困る」…と真っ先に思ってしまうような現実が無意識に邪魔をしているのです。
あるいは、「相談しても取り合ってもらえないのが怖い」「助けを求めるのは自分の負けを認めることになる」「相手も忙しいだろうと思って遠慮してしまう」「日頃から話をしていないと、一から説明しなくてはならないので面倒くさい」といったコミュニケーション不足に由来する感情や自己規制もあるでしょう。

弱い部分をありのままに見せて他者に力を貸してもらう

そもそも仕事において人の助けを借りることは「弱み」なのでしょうか。

私は「人の力を借りて助けてもらう」ことは、甘えることや依存することとは違うと思っています。
人はだれでも一人ひとり、得意や苦手、強みや弱みがあるものです。好調なときがあれば不調なときもあります。完璧な能力と運の持ち主などめったにいるものではありません。そんな個性のある、均質ではない人間が集まって、言い換えれば、多様な個性や能力を組織することによって仕事を進めていこうというのが会社です。
だからこそ、個々の強み・弱みや状態をお互いの間で見えるようにする、お互いを補い合い、強化し合う力が日常的に働くようにするための手段が必要なのです。

「人の助けを借りる」というのは、ただ「助けを待つ」ことではありません。自分の強み・弱みを知ったうえで、弱い部分をありのままに見せて他者に力を貸してもらうことは、自発的な協力、自発的な連携の基礎になっていく積極的な手段です。
もとより人というのは、人の役に立つことが自分の動機や喜びになる、その関わり合いに意味を感じる存在です。助け合うことは単に必要な力の貸し借り以上に、人にとっては本来、楽しいことであるはずなのです。

相談できる関係をつくる、話し合えない職場を話し合えるようにする、部門間の壁をなくす…そのためには、まず本音でお互いに弱みも強みも見せ合って知り合うことを大事にする。オフサイトミーティングのルールの背景には、そんな理由があるのです。