設計どおり人を動かすためには「タテマエ」が必要だった

日本を動かしていくような影響力の強い組織、たとえば警察をはじめとする官公庁、重厚長大産業の大企業などは、総じて暗黙の「タテマエ」で動く傾向を強く持っています。
この傾向には、組織の置かれている状況や規模によって強弱があり、タテマエが作用する度合いにも差があります。

しっかりとした安定的な組織ほど、タテマエで動く傾向は顕著なのです。

というのも、そうした組織は、そのOSもハード機構も指示命令によって統制的、効率的に動くように設計され、それによって成り立っているからです。
だからこそ、組織に属する人々がタテマエで動くことが当たり前になるのです。

もともと組織は効率的に動くように設計されてはいるのですが、その中で、指示命令を実行し、実際に組織を動かすのは人間です。
組織を動かす人間もまた設計どおり、パーツとして効率的に動くことが必要なのです。

とはいえ、人間を設計どおりに動かすことなどできるのでしょうか。
じつはそのためにこそ、行動規範となるルールとしての「タテマエ」が必要だったのです。

そういう意味では、人々が指示命令に従い、組織が効率的に設計された分業体制で動くのは、タテマエというものがしっかりと作用し、狙いどおり、型どおりに人間を動かしているからなのです。

日本的な働き方の美徳が「オキテ」となって組織を縛る

規模の大きなしっかりと設計された組織で働く人間ほど、「こうあらねばならない」という約束事(タテマエ)を堅持しています。

たとえば、企業の部長職は「部長とはこうあるべき」という固定された理想像を前提に存在し、この理想像(タテマエ)は研修などで教え込まれます。
もちろん、いくら努力しても理想どおりに動くことはできないのですが、常にその理想像をめざして努力を続けているのが望ましい姿である、とされてきたのです。

こうしたタテマエを一途に堅持する姿勢は、百数十年前まで続いた江戸時代の頃から、私たち日本人の中に美徳として染み込んでいます。
そして、第二次世界大戦までの百年足らずの期間にも、和魂洋才として払拭されることなく継続されてきたのです。

このようなタテマエを前提にした日本特有の働き方は、少なくとも戦後の経済拡大成長期には組織の安定をもたらし、日本の経済的な発展に寄与してきました。
組織に所属する人間がタテマエという一種のあるべき論で動く、そうした努力をいつもしていることで、組織の安定が保たれ、混乱が回避されてきたからです。

それゆえ、右肩上がりの時代には、「タテマエ」の支配に潜む問題点はそれほど顕在化することがなく、今日に至るまで持ち越されてきている、ということです。

そこに潜んでいる問題というのは、日本的なタテマエは「オキテ」となって、組織の内部に同調圧力を働かせているという点です。

タテマエが強い組織では、安定が保たれると同時に、混乱を回避しようとするあまり、いろいろな問題が解決されずに持ち越され、積み残されたままになってしまう、という負の実態が残ります。
結果として、効率的に設計されているはずの組織に、効率的ではない側面がしだいに露呈してくるのです。

「オキテはずし」の風土改革で閉塞状態を打開する

たとえば、タテマエが「オキテ」になると、会議で自由に活発な意見が出ることはまずありません。
無意識のうちに立場やポジションの縛りが働くからです。
報告や提案を無難に済ませるために事前の根回しがしっかりと行なわれ、知恵の源泉である発散の議論がその場で交わされることもありません。
自由な思考も発言も制限されてしまうのが日常的な光景になるのです。

その結果、多くの会議が限りなくセレモニー化してしまうのが、タテマエが支配する組織の現実です。

常にムダな仕事の筆頭に挙がるように、会議には当然、時間もコストもかかっています。
管理職ともなると、週の半分は会議の時間が占めている、というのも珍しくはないからです。
その会議で、必要な議論がなされず、単にセレモニーをしているだけだとすれば、浪費される時間とコストは膨大なものになります。

冷静な頭で考えれば、これは日本の経営体へのボディブローのように効いてくるダメージとも言い得ます。

しかし、“会議に出る”ということが“仕事をしている”と同義なのがタテマエの世界です。
タテマエが組織を支配すればするほど、こうした傾向が当たり前になっていくのです。

このような問題は、安定を何よりも最優先しがちな組織の中ではあまりにも日常化していて、すでに問題だと認識すらできなくなっています。
会議だけに限った話ではありません。前回で取り上げた「失敗」の問題もそうです。

「失敗をしてはならない」という固定化したタテマエは、問題の所在をあいまいにし、事実に即して失敗の根源を明らかにすることを妨げています。
タテマエの世界では、責任の所在をはっきりさせることが困難なのです。

人口減少が進み、経済が停滞期に入った今、タテマエが固定化した企業に噴出している諸問題は枚挙にいとまがありません。
他の先進国に比べて、こうした体質に根差した問題が日本の労働生産性の低さをもたらしています。

この事実を見逃してはならず、ここに焦点を当てることが緊急の課題なのです。

機能不全状態に陥っている組織の「オキテ」をはずして、組織を健全な状態にしていく改革(組織風土改革)は、しかし、決して不可能ではありません。
原因に目を向け、それを明確に共有してアプローチすることさえできれば、解決の突破口が見つかるからです。

では、どうすれば、そしてどのくらいの時間をかければ、「タテマエが固定化した世界から脱却すること」が可能になるのでしょうか。
5年、10年という長い時間をかけて脱していく方法ならいくつも例があるのですが、ここでは比較的短期間に脱却するにはどうすればよいか、に焦点を当ててみます。

経営陣自らがタブーを破ってみせること

「組織の規模」は、タテマエの世界から脱却するために要する時間、という点で重要な意味を持っています。
小さな組織であれば脱却はより容易になるからです。

ただし、組織の大きさには関係なく、何よりも大きな影響力を持つのが「経営陣の姿勢」です。
というのも、指示命令が意味を持つタテマエの世界の頂点にいるのは経営陣だからです。

経営陣が「タテマエの世界から脱却する」という強い意志を持つか否かは、比較的短期に結果を出すことをめざす場合、特に決定的な転換のインパクトになります。
経営陣が「組織風土を変える」という明確な意志を示すこと、その意志を社員がしっかりと受け止めることが改革の出発点であり、成功のカギになるからです。

問題は、経営陣が意志を示しても、社員がそれを心から信じるところまで持っていくのは至難の業だということです。
というのも、タテマエ組織の頂点にいると思われている経営陣から発せられる情報は、普通の社員から見れば依然としてタテマエの一部だからです。
つまり、大本営発表とみなされるのが当たり前なのです。

多くの場合、いくら社長が真剣に語ったとしても、社員はそれをすぐには“人間社長”の言葉だとは思わない、という現実認識が出発点です。

この場合、もうひとつ置く必要がある前提は、“経営陣はタテマエの世界の成功者である”という社員の認識や感情です。
これは、実際にどうなのか、とは別の話です。
当然ですが、経営者によっては、そう言われることに違和感を覚える場合もあると思います。
しかし、ここでは「社員がそう見ている」という現実から出発することが必要です。

その前提の上で、経営陣自らが先頭に立って、言葉だけではなく、本気で生まれ変わろうとする姿勢とそこに生じる葛藤を、可能な限り、リアリティを持って社員に伝えようと努力をすることには、決定的な意味があるのです。

その意味とは何でしょうか。

互いの言葉を正確に理解するための「問い返し」を習慣にする

多くの社員は、“タテマエの世界の厳しい戦いを生き抜いた勝者”という目で現経営陣を見ています。
その経営陣が、長い間なじんできたタテマエ文化と決別しようとすることは、社員にとって、これまでの常識や価値観を覆すのに十分な出来事です。
社員が今までとは異なる変化の匂いを感じるからです。

では、経営陣のどんな行動が「本気」を感じさせるのでしょうか。

今からすぐにでも始められることは、経営陣の間で「問い返し」を習慣化し、事実に即したやりとりをしていく努力です。

というのも、通常のやりとりでは、お互いに発言のニュアンスを察しながら話していることも多いため、聞き手によって解釈も異なり、話が積み重なりにくいのです。

したがって、

「少し聞き取れなかったので、もう一度お願いします」
「それはどういう意味ですか」
「市場という言葉はどういう文脈で使われたのですか」

など、問い返すことによって、相手の話をまず正確に理解することが、本来、対話を積み重ねていくための前提となるのです。
「問い返し」というのは、きわめてシンプルです。言葉の持つ意味をあいまいなままにせず、具体化、実行していくために「事実・実態」と結びつけて“自分のものにする”行為だからです。

しかし、こうした行為自体、タテマエの世界には最も似つかわしくない行動です。
タテマエが横行する組織では、言われたことに対する問い返しはタブーであり、不必要な行動とみなされています。

そういう意味で、これまで社員から見てタテマエの世界そのものであった経営陣が、過去のオキテをはずして問い返しを始め、それを新たな習慣にしていくと宣言することには象徴的な意味があるのです。

そうした変化をメッセージする行動を打開の糸口にして、周りにあるタテマエを掘り起こして顕在化させ、次々とそれに対する打ち手を積み重ねていくことで、転換は始まっていきます。

確かなことは、経営陣の本気度が本当に社員に伝われば、改革は半ば成功したも同然とも言い得ることです。
なぜなら、それが伝わることこそ、社員の中に“当事者”を生み出していくエネルギーをもたらすからです。

それほど重要で、かつ難しいのが「経営陣の姿勢の転換を見せる」というプロセスなのです。