答えは対話の中に

あけましておめでとうございます。

対話をする、ということの大切さが今更ながら見直され始めている昨今です。今年の1月1日、朝日新聞1面のトップ記事の見出しは「答えは対話の中に」でした。

言いっぱなしのスピーチでも、言い合いのディベートでもない。相手の意見に耳を傾け、自分の中で消化し、新たな意見を投げかける。その繰り返しが、みんなを高め、良い人間関係を作っていくことを伝えたい。行き着いたのがこの授業だ。(中略)
一人ひとりの声が重なり、ふくらみ、響き合い、みんなの学びとなって対話が自転していく。先生は腕組みをし、うなずいているだけだ。教師の「教え込み」から子供同士の「対話」へ。その先に広がるのは、新しい価値をともに創りあげる社会という未来図だ。
【朝日新聞 1月1日付記事より抜粋】

「答えを自ら見つけ出していく力を養成する」という、時代が私たちに求めている最も本質的な課題を、次世代を担う子供たちの教育で達成するには、今の日本で圧倒的に主流を占めている「記憶すること」、つまり「あらかじめ用意された答えを知っていること」に主眼を置いた教育を見直す必要がある、という極めて本質的な問題提起です。

私たちの本当に必要としているもの

もちろん、こうした「対話」というものを大切にし、子供たちの答えを創りあげていく力を養成する教育が、そのまま多くの親が望んでいる「現行の入試に強い子」を育てることになるのかどうかは別の問題です。今の入試は基本的に知識の量と解法の習熟度で差別化を図ろうとしているからです。
つまり、親や子供の目先のニーズと、こうしたより本質的な教育とは合致していないということです。

このままでよいはずはありません。私たちの本当に必要としているものと、現実のニーズが明らかにずれているのです。

この“ずれ”を修正するなら、変えなくてはならないのは入試という今の制度の中身です。今のやり方をそのまま容認し、私たちの未来がかかっている子供たちの教育を現行の制度に合わせるのではなく、子供たちの資質をどこで見極めるのか、新しい選抜のあり方を早急に提示する責務が私たち親の世代にはあります。

永年問題だとされながら、いまだに解決されていないこの問題に決着をつける時が来ているのではないか、と思います。そのためには、今の制度にはこういう利点があるのだ、という考え方をもっている人々と、私たちのようにそれを真っ向から否定しなくてはならない、と考えている人間とが徹底的に議論し尽くし、かつそれを公開する必要があります。

もちろん、こうした子供たちの生きる力を引き出していく教育を本当に実践していこうと思うなら、教える側の教師自体が、こうした「対話」やそれを通じて深く考え抜くという経験をほとんどといってもよいほど積んでいない、という厳しい現実からまず出発しなくてはなりません。やらなくてはならないのは教師自体の対話力の養成であり、対話の中から子供たちの力を引き出していく本質的な教育力を身につけていくことなのです。

本当にこういうことをやろうと思うなら、小さいながらも朝日新聞に紹介されているように成功しているケースは探せばたくさんあります。政治や行政がこういうことの意味を理解し、強力に推進していくなら実現の可能性は十分にあると思います。

対話と信頼関係

対話の大切さはすでにかなり認知されてきていますが、実はこうした「対話」は、その質を高めていかないと何の意味もなくなってしまうどころか、かえって逆の効果すらもたらす可能性があることを、私たちはビジネスの世界での実践上よく知っています。ただ話をしているだけの単なる「会話」と「お互いの知恵がふくらんでいく対話」とはまったく違うからです。

答えがはじめから決まっている話し合いを対話とは呼ばないように、やりとりの質が最低限、確保できてはじめて対話と呼べるということです。
そういう意味からすると、信頼関係がほとんどないところに「対話」はそもそも成立しないことに特別な注意を払うべきでしょう。そして、対話を通してまた信頼関係は増幅していく、という事実も大切です。対話と信頼関係にはかなりの相関関係がある、ということなのです。

その集団を構成する人間の種類によっても対話を成立させる条件は、当たり前ですが異なってきます。政治家の集団で対話を成立させるのと、工場で働く人々のそれ、子供たちのそれとでは、その対話を成立させる条件がまったくといってもよいほど違うことは誰にでもわかると思います。しかし共通して言えるのは、大人であろうと子供であろうと基本的に信頼関係を醸成しながらでなくては対話というものは成立しえないのです。

深くより本質的なことを考え抜いていく習慣

ただ、大切なこととはいえ、「対話」そのものはあくまでも目的ではなく手段です。対話を通して信頼関係をつくり上げていくだけでなく、「深くより本質的なことを考え抜いていく習慣」を身につけていくことこそが私たち人間にとって大切なことなのです。
私たち人間は懸命に生きてはいても、いつの間にかその方向性を見誤って、あらぬ方向に向かいやすい動物です。とくに今のような混沌とした閉塞感の立ちこめる時代には、
「何のために」
「何に価値を求めるのか」
「どういう意味があるのか」
というようなことに関して、常に問い続ける姿勢なくして私たち人間に明るい未来は拓けない、ということです。そして、質の高い対話は、必然的にそうした問いかけをもたらしやすいものでもあります。

最近ではコンプライアンス上の事故の多さも大きな問題になってきていますが、ただ規制を強めたり精神論を説いたりすることで解決できる問題ではないことに早く気づくべきでしょう。
対話を通して深く考える習慣を身につけた人々が中心にいる組織では、組織に信頼関係のきずながあり、対話のできる環境がありますから、そもそもコンプライアンス上の事件は極めて発生し難い、ということなのです。
そういう意味でも、このような「対話」の大切さやその果たす役割は、教育の世界だけではなくビジネスの世界でもまったく変わりがありません。また、政治の世界でも同じです。

対話を促進できる人材の養成

私たちスコラ・コンサルトが永年実績を積み重ねてきたのも、まさにこの分野です。バラバラだった社員が徹底した対話を通して信頼関係を築き上げ、自然な協力関係が生まれていく、などというのは私たちの周りではごく日常的に見られる光景です。しかも若い社員同士だけではなく、いつの間にか、表面的な関わりだけになっていた経営陣でも同じような信頼関係が生まれていく、という現象が起きています。
教育の世界で対話の経験と対話力をもつ教師を養成する必要性があるのと同じように、企業の中でも、対話を促進できる人材の養成が必要とされており、私たちはそれに取り組んでいる最中なのです。

問題は、こういったことの価値をはじめから理解できる人物が適切なポジションを占めているケースが残念なことに国や企業の中ではまだ多くはない、という現状です。とはいえ、対話を通して考え抜く習慣を身につけた社員を育てることで業績を上げている会社がしだいに増えてきています。
ある時点を超えた時、対話を大切にすることで業績を上げていく会社は爆発的に増えていく可能性があります。その時に備えて、私たちは今から準備をしなければならないと考えています。