前回のコラムはこちら

初めて外部から興電舎の社長になった西川正巳さんは、1999年に出版された『ここから会社は変わり始めた』に登場する人物です。『なぜ会社は変われないのか』に出てくるワンシーンのモデルにもなったその会社で、風土改革に取り組む骨太のコアメンバーでした。

当時、半導体製造装置メーカーで30代の係長クラスだった西川さんは、その後、複数のメーカーで社長を務め、ものづくり会社の経営に大きな実績を上げてきました。「トヨタ式と風土改革は両輪だ」というのが西川さんの口ぐせ。「どちらも結局、人づくりというところは一緒」という信念で、そこにいる従業員を元気にしながら“1個流し生産”を追求する、創意工夫にあふれた生産システムの革新と現場づくりに力を注いできました。

会社を超えた大きなコアネットワークを資産に ~西川さんとスコラ・コンサルト

この20年間、西川さんはどこの会社の社長になっても、自社工場の見学には積極的で、特にスコラ・コンサルトのお客さまを伴っての工場見学や交流では、どれほどお世話になったかわかりません。

「生産革新と風土改革の根っこは一緒なんです。私が最初に勤めていた会社でも、スコラさんが入っていたからトヨタ式が機能したと私は思っています。私のトヨタ式の師匠もいつもそう言っていました。だから、スコラさんの見学は絶対に断らないんです」

かつて30代の、やんちゃできかん気の強いコアメンバーだった西川さんが今では59歳になり、私たちのクライアント企業に社長として赴き、改革の陣頭指揮を執ることになりました。この一件は、風土改革を通じて“見えざる経営資源”をつくり続けてきた私たちの歴史にとっても、大きな意味を持っています。

 

スコラ式の風土改革は、創業者の柴田昌治と当時のプロセスデザイナーたちが実践を通じて理論や技術を磨いてきた純国産の経営改革手法です。業種・分野や企業規模を問わず、生の人や現実とやりとりをしながら実践を続けてきたその歴史は、いわば試行錯誤の連続でした。そこには、つねに主体となって動くクライアント企業のコアメンバーの存在があり、彼らの存在を抜きにしてスコラ式風土改革を語ることはできないでしょう。

その初期の頃に書かれた『なぜ会社は変われないのか』を読んで胸を熱くし、「これはウチの会社のことだ!」「なんとか会社を良くしていきたい!」と行動を起こした当時の中堅社員たちも、そろそろ50代の後半。責任ある立場で活躍しながら、次代へのバトンタッチを考える年代になってきています。彼らはあちらでもこちらでも、社会の至るところで、当時の熱い思いを伝え、培ってきた経験を次代を担う若い世代に広めています。

スコラ・コンサルトの周囲には、企業の枠組みを超えた個人対個人の顔の見えるおつきあい、コアメンバーたちのインフォーマルなネットワークがあります。そのネットワークのメンバーたちがこれからの世の中に為しうることの大きさを、今回の西川さんと鈴木さんのケースは教えてくれています。それはスコラ・コンサルトと同志であるコアメンバーが互いにネットワークを社会資源として生かし合い、新しいものを生み出していく可能性を垣間見せてくれるものでもあります。

まだまだ遅い、もっと良くなる ~興電舎の挑戦は始まったばかり

西川さんの社長就任から3カ月。

西川さんはさっそく、会社のめざす姿として「北本発世界一のものづくり」を掲げました。社内に入ってからは、これまでどの会社でも必ず行なってきた全社員との個別面談で「改善より改革」の思いを伝えました。さらに、毎日現場を歩き回っては「日々何かを変えること」を奨励し、小さな変化を見つけては褒め続けています。

最初に着手した2Sでは、買い置きされていたネジとコード類の棚卸と整理から始め、すでにかなりのコストダウンが見えてきています。また、「とにかく一度試してみよう」と組立メンバーを説得して、ある機種で1個流し生産に挑戦し、これまでよりも格段に早くものがつくれてしまう驚きを現場にもたらしました。

そうした実践の一方で、西川さんは生産革新の心得をいくつかにまとめ、それを「KODEN生産方式」と名づけました。「トヨタ式じゃないんです。あくまで興電舎のみんなが自分たちでつくり上げるやり方だから、KODEN方式って呼びたいんです」

会社全体としても、営業利益率や仕掛り品の在庫保有日数など、いくつかのターゲットで「ワールドクラス」もしくは「世界一」になれる目標をリアルに掲げ、日々変革にフル稼働です。

 

忙しいばかりではありません。すでに風土改革を通じてかなりの残業削減をしてきたため、近年の「働き方改革」ではこれといった成果が出せていませんでした。ところが、この3カ月間、ていねいな現場見回りと一人ひとりに向き合う対話により、なんと残業時間が3分の1にまで減ったのです。

その変わりように驚く取引先の声も聞こえてきています。厳しく価格交渉するつもりで訪れた担当部長は、社員が元気にあいさつする姿に「3カ月でここまで変わるとは!」と驚きの声をあげ、取引先の工場長からは自社の社員を定期的に勉強に行かせたいという申し出がありました。わずかの間に、めまぐるしいスピードで興電舎は変わり続けています。

「まだまだです。ぜんぜん遅いです。興電舎の社員さんの力はこんなもんじゃないです」という西川さんに、「でも、まだ3カ月ですよね」と聞き返すと、破顔一笑、「“もう3カ月”です。遅いです!」と、大きな声で西川さんは言います。

 

事業承継の新しいかたち ~社員によって代々引き継がれていく会社に

会長になった鈴木さんは、西川さんと接した社員たちが目を輝かせて創意工夫をしようとする変化を目の当たりにし、経営者自らが現場に立って鼓舞していくというリーダーシップの新たな一面を学びました。そして、オーナーとしての自分ができること、したいことの模索を始めています。

外から社長を迎えるにあたって、鈴木さんはその意義を「プロパー社員が引き継ぐことのできるパブリック企業をめざすため」と、社員に向けて何度も説明してきました。その目的があるから、西川さんの改革を応援することが自分の役割である、と。そんな鈴木さんの思いが通じたのか、幹部社員数名(みな将来の社長候補)が「興電舎の明日を考える会」を勝手に名乗り、毎月飲みながら語らう場を持ち始めています。

西川さんと、そして鈴木さんの夢はまだまだこれからです。

鈴木さんが31歳で会社を“受け継いで”から20年。80年もの歴史を持つ会社を潰すわけにはいかないと無我夢中で駆け抜け、やっとの思いで100周年に漕ぎつけたのが昨年でした。年上の社長を三顧の礼で迎え、これからは会社を社員に “引き継ぐ”ための仕事に取りかかります。100年続いた会社を、今度は社員が引き継げる会社にするという大仕事です。

単に承継するだけではなく、さらにその次もずっと社員が受け継いでいく経営ができるようにする。そうすることによって、次の100年を、言葉どおりの意味で世の中に貢献できる企業、パブリックカンパニーとして生き続けていく。そんな引き継ぎが二人の夢です。

 

興電舎の将来の姿についても、二人の視野にはいろいろな選択肢があり、そのひとつには株式上場も含まれています。キャピタルゲインを得るための上場ではなく、安定的な経営基盤を築くことで、社員が個人として無理しすぎることなく会社を経営できる環境づくりとしての上場です。時代を超えて親族で企業経営を続けることが決して簡単ではない日本のビジネス環境の中で、さまざまな制約条件を乗り越え、新しい事業承継のかたちをつくることが、二人の本当の挑戦なのです。

長く続いてきた老舗企業という社会的リソースを、どのように生かしていくことが真に世の中の役に立つことなのか。答えが出るのはまだまだ先のお話。しかし、次の100年への一歩を踏み出した興電舎の物語はすでに動き始めました。

経営と社員が共にめざす将来の姿を抱いて、毎日毎日、これからも大小さまざまなドラマが繰り広げられていくことでしょう。