誰もが実感している日常業務の生産性の悪さ

毎朝、出社して机に着くと同時にPCを立ち上げ、職場の朝礼でその日のスケジュールを確認し合ったら、大量に届いているメールの中から自分に関係するメールを確認して処理する。
その後、仕事の打合せや資料作成、電話対応、会議への参加、上司から呼ばれて案件の進捗報告…等々。
気がつけば、上司から許可を得るのも忘れてズルズルと残業時間に突入している…。

このような光景はいまだに多くの職場に見られるのではないでしょうか。

国を挙げての働き方改革の取組みが本格化してからすでに数年がたちます。
長時間労働の是正や、ライフスタイルに合わせた勤務形態の導入など、制度や仕組み面での労働環境の整備は進んでいるかもしれません。

しかし、私が支援先の職場などで見聞きする限りでは、労働時間の短縮によって溢れてしまう仕事の見直し・削減自体がなかなか進まないために、現場の負荷が余計に大きくなっている印象です。
特に、本来やらなくてもいいはずの“価値につながらない仕事”に対する改善の声が高まっていかないことが気になります。

というのも、間接部門の日常業務の中には「目に見えないムリ・ムダ」がまだたくさんあるからです。たとえば…

・上司が会議に出た時、その場での質問に対して「わからないから調べて後で報告します」と言えないばかりに、使うかどうかもわからない資料を大量に部下に用意させる。

・利害の対立する部署に仕事を依頼する時、まず話し合い自体がなかなか成立しないために何度も何度も交渉し、その間は業務が止まっている。

・上流部門の仕事の詰めが甘いために、いつも自部署で手直し、やり直しをしている。
そのつど改善するよう要望を出しているが、いっこうに仕事の仕方が変わらない。

こうした工数のかかる(高い人件費を払う)内部調整の労力(仕事)が何の価値につながるのか、本当に必要なのかと疑問に思っている人は少なくありません。
生産というより“組織社会のつきあい”ともいえるこの種の内部調整が業務において馬鹿にできないほどの割合を占めているところに、日本のホワイトカラーの生産性が低いと言われる要因があるように思います。

そして、製造職場にある仕事の定義でいえば、これらは明らかに付加価値を生まない「ムダな動き」なのです。

 

「動き」と「働き」の違い

生産性とは、投入した資源に対して創出した付加価値の割合を言います。
ものづくりに限らず、仕事とは付加価値を高める行為や行動だと私は考えています。
ひとことで言えは、お客さまに認められお金をいただける行為・行動です。

こうした見方に立って現状の仕事を見直すために、改善においては、付加価値を高める仕事を「働き」、価値を生まずに原価を増やす仕事を「動き」というふうに定義しています。
その上で、後者の「動き」のほうを「ムダ」と見なして削減し、価値の高い仕事の割合を増やして生産性を高めていこうというのが改善の基本です。

それによって、業務に占める「働き」の割合(=働き率)を高めていくのです。

図表1:「動き」と「働き」

 

私が「動き」と「働き」の違いに触れ、仕事を見る目が変わったのは、トヨタ自動車のある人物の話を聞いたことがきっかけでした。

かつて自動車メーカーに勤務し、トヨタ生産方式を参考にした生産システムの構築に携わるスタッフとして仕事をしていた頃のこと。
トヨタ生産方式の生みの親と言われる元トヨタ自動車副社長の大野耐一さん(当時、豊田合成の会長)に工場を見ていただいた時のことでした。
緊張した私は大野さんに近づきすぎて足を踏んでしまったことを今でも覚えています。

大野さんは工場のど真ん中に立ち、工場の幹部にこう質問されました。
「この工場の人は、どのくらい働いていますか?」

視察の当日は上司からの指示もあり、工場の作業者は一時も手を休めず、いつも以上にテキパキと忙しく働いているように見えました。

いきなりの質問に、工場幹部はどう答えてよいかわからないままに「一生懸命、働いてくれています」と答えました。
しばらく時間をおいて大野さんの口から出てきたのは「忙しく動いているが、働いていない」という言葉でした。

それに続けて、「働き」というのは部品を持って歩き回ることではない。
部品を組み付けた瞬間、ボルトを締めた瞬間、つまり付加価値を付けた瞬間を「働き」と言うのだ。あとは単なる「動き」であり、原価だけを高めるムダだ。
この工場の「働き」は2割ぐらいだろう、と言われたように記憶しています。
働き率が20%ということは、作業の大半を「動き」が占めているということです。

一生懸命やっていることをムダと言われて腹を立てた人もけっこういました。
けれどその後、私たちは製造部門を中心に、付加価値を生み出したり高めたり、お客さまからお金をいただける行為を「働き」、付加価値を高めず原価だけを高める行為を「動き」(ムダ)と定義し、「働き率」を高めるために全工場で改善に取り組んだのです。

こうした仕事の捉え方は、製造職場で改善に取り組んでいる人たちにとっては常識になっています。
しかし、ホワイトカラー職場では、「動き」と「働き」のような質的な違いを意識して日常業務の中身を見ている人は少ないのではないでしょうか。

【「動き」を意識するための問い】

「資料を作成したり会議に参加したりしているが、その行為が本当に付加価値を高める『働き』になっているか」

「上司の指示でやっているから“大事な仕事”であると思い込んでいないか」

「上司は、自分の指示でやらせていることは必要なことであり、ムダなことをやらせているとは思っていないのではないか」

図表2:間接部門にみる「動き」(原価を増やすムダ)の例

このような視点で日常業務の「動き」(ムダ)を見直し・削減することなく、見かけの残業時間だけをいくら削っても〈働き率〉は高まりません。
むしろ逆に意欲は下がり、仕事が粗くなったり、ミスをしたり、手抜きをしたりといったムリを招いて、生産性の低下につながります。

その意味で、日々の仕事は何割ぐらい付加価値を高める「働き」になっているか、という目で日常業務を見直してみる。
少なくともムダ、無意味だと感じている仕事の見直し・削減から着手して〈働き率〉を高めていくことが生産性を高める上では大切だと思っています。

後編では、ホワイトカラー職場が〈働き率100〉をめざすための手順とポイント、ムダ取りを進めるための条件などを取り上げてみたいと思います。

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