なかでも、業務や方針などの背景情報や実態がリアルに伝わるようなたまり場での世間話、個人が必要に応じてやっていたミニマムなやりとり、思いつきやアイデアを誘う偶発的な会話など、業務の遂行やチームとしての行動を陰で支えていた「雑談」というコミュニケーションの機能、組織にとっての価値が浮き彫りになってきているように思います。

問題解決とは目的が違う「発散的な」やりとり

オフサイトミーティングの話し合い方は、気楽にまじめな話をする「まじめな雑談」です。
ある外資系企業のオールハンズ・ミーティング(全社員集会)をコーディネートしたときのこと。ワークショップの一部でオフサイトミーティングとして、社員同士が仕事をする中での違和感や問題意識を出し合う「モヤモヤガタリ」のセッションを行ないました。この「モヤモヤ」を語り合うことの意味については外国人の経営者が自ら社員に解説してくれたのですが、そのときに彼がモヤモヤをどう訳すのか、私は興味津々でした。“MOYAMOYA”のような擬態語にはあまり馴染みがないと聞いていたからです。

彼が口にしたのは“BUG”、すなわち「虫」という言葉でした。「害虫をみんなで積極的に出し合おう。そして、その害虫をみんなで退治して、もっといい会社にしよう」というふうにモヤモヤガタリの意味づけをしてくれたのです。

たしかにそういう一面もありますが、私たちの感覚では「モヤモヤ」という語には、特に問題解決の文脈で使うときにはもう少し広範囲で深い意味あいを持たせています。
害虫というよりは「玉石混淆の雑多な情報のかたまり」、もう少し積極的にいえば「見ようによっては“宝の山”」だという見方です。

感情を含んだ雑多な情報を発散し合うモヤモヤガタリは「害虫を取り除く=問題潰し」による問題解決とは違います。仕事の場ではなかなか口にしにくいことを発散的に出し合います。みんなのモヤモヤに共感したり、一緒にそれを客観的に眺めてみることで、個々の気持ちを前向きにし、お互いが安心して問題を顕在化したり、アイデアを出し合って解決できるような状態にすることのほうに主眼があります。

そもそも仕事の世界では、結論を出すことを目的にしない“発散的な話し合い”の意味を共有するのは簡単ではありません。
外資系企業のように文化的な背景の違いがあればなおさらですが、企業のコミュニケーションにおいて、私的な感情を含む整然としないやりとりは、単に“プライベートな会話”という位置づけだったのではないでしょうか。

雑談は先人たちの知恵

じつは、かつての日本企業では、雑談を上手に事業と組織づくりに取り入れていました。ノミニケーションやタバコ部屋、給湯室という言葉がほぼビジネスパーソンの共通語だったことにそれが見て取れます。

かのP.F.ドラッカーは、新橋のガード下に集い、仕事と会社について飽きもせず雑談を続ける日本の企業人の姿に、当時の日本企業の強さの理由のひとつを発見しています。会社が役割のみで規定される場所ではなく、居場所としても機能していること、働くことが人生の一部としてとらえられ、時間を忘れて語らう対象になっていることにドラッカーは感銘を受けたのでした(もちろん、役割や責任のほうがあいまいになっている点や、居場所としての機能が強すぎるために労働市場の流動性が低い点など、批判もしています)。

そういった、いわゆる“昭和型のコミュニケーション”には多くの問題があったにもかかわらず、雑談というものに含まれる豊潤な情報のやりとりをうまく仕事の成果に結びつけていたという点はもっと評価されてしかるべきだろうと思います。
実際に、かつてスーパーコンピュータの開発で世界をリードしたある技術者が、スコラ・コンサルトのオフサイトミーティングに接して、「こういう会話が日本の研究開発の現場には昔は自然発生的にいくらでもあったんだ!」と拳をふりあげんばかりに言い、なんとか自組織に取り入れようとがんばっていたのを応援したことがあります。

オンライン化の進展で再浮上する雑談の価値

この春以降のコロナ禍は私たちに多くの試練とともに、多くの気づきをもたらしています。ツールの整備により、ほとんどの会議がオンラインでも十分に成立することがわかったことは大きな収穫でした。
しかし、その一方で、会議前や会議の合間のちょっとした空き時間に交わされる雑談がないことが会議の質や内容の共有にも少なからぬ影響を与えているのではないかと多くの人が感じ始めています。

先に行なった「テレワーク下の雑談に関するアンケート」の結果を見ると、出社時と比較して、雑談の機会が減っていると感じている人は8割以上にもなり、約75%の人が「仕事をする上で雑談がなくて困る」と答えています。会議に限らず、職場で近くの人にちょっとした相談ができないことや、食事どきや休憩時の何気ない情報交換がないことが組織の人間関係や仕事の質にも深刻なダメージをもたらしかねないという不安の声も聞こえてきます。

在宅勤務と業務のオンライン化が常態になるにつれて、想定できなかった困りごとがいろいろ出てきたことで、抜け落ちてしまった雑談の果たしてきた役割がクリアになってきたといえるでしょう。

では、雑談とはどういう種類のコミュニケーションなのでしょうか。
多数の方がしっかりと書き込んでくださったアンケートの自由記入「雑談がなくて困ること」から見えてきたのは、自在、即応、スピード、即興性、流動性、多様性などのキーワードです。

職場で個人が必要に応じて手段として使っている雑談の目的や場面、用途は非常に多岐にわたっています。組織的なコミュニケーションとは違った、個人が目的のためにジャストインタイムで用いるミニマムなコミュニケーションです。たとえばテレワーク下でちょっとしたやりとりができなくなると、職場のメンバーとの間で方向性や方針のすり合わせが適切なタイミングでできなくなり、仕事の効率が低下、ズレによる修正コストがかかってしまう、といった管理者の声も少なからずありました。

それだけではなく、雑談から生まれるアイデアや気づき、仕事のヒントが得られなくなることが困る、と回答した人が25%にも上りました。発散的な雑談がもたらす刺激や触発は、日常業務の進行や問題解決からR&Dのアイデア、構想まで幅広い領域に及んでいます。

直線的な単線のコミュニケーションにはない、回り道あり、道草あり、脱線あり(本線がないので脱線というのもおかしいですが)、流線形で雑多な質感の情報が入り混じった雑談の即興的なコミュニケーションからは、触発や化学反応によって予期せぬアイデアがどんどん生成されていきます。一見、効率的ではなさそうすが、準備のいらない即興劇から偶発的な創造が起これば、その成果は十分にコストを回収する可能性もあります。

即興劇は、誰かの投げかけに他の誰かが応じるところから始まり、呼吸の合った当事者同士の応酬によって進展していきます。そこにある本質は、信頼関係にもとづく「双方向性」です。

一緒に答えをつくれる信頼の双方向コミュニケーション

詩人の茨木のり子さんがかつて、
「いつのころからかひんぱんに使われるようになった『関係ない』という言葉を聞いたときにはぞっとした。この世の中は『関係だらけ』で、関係のない存在なんかひとつもないのに」
という意味のことを書いていました。

私たちはいつの間にか、「会議では本題と関係のないことを言うな」「結論をしっかりまとめて必要な要点だけを言え」というような組織の形式的でムダのないコミュニケーションを当たり前だと思うようになっています。事にまつわる背景や過程にある人の思いや感情など、現実は生きて流れている動画なのですが、データにできない定性的な情報は排除してしまう。表面的なコンテンツだけを扱う効率重視のコミュニケーションです。

しかし、変化し動いている現場や仕事の中で大切なのは効率ではなく、状況に応じて必要なことをやりとり・相談して答えをつくる、流れを止めない協働のためのコミュニケーションです。そして、それを成り立たせるのは、自分が何かを投げ込めば、そこにいる誰かがそれを受け取って返してくれるという双方向性に対する信頼です。

変化の激しい時代、ますます複雑化し、スピードの速くなる難しい世界。一企業の生き残りだけではなく、地球全体が危機に陥りつつある時代には、多様な経験や考えの持ち主である人々が、互いの持つ情報の断片までを活用し合って新たな知恵を生み出す“知の協働と創出”が課題解決と持続のカギになります。
信頼の上に知恵の応酬が起こる即興性の高い「雑談コミュニケーション」は、個人にとどまらず組織的な仕事の手段として、ますます重要になってくると考えています。