常に新たな情報にふれ、自社の経営に生かしていくことは大事ですが、「新しい概念や手法を取り入れれば変われる」というわけではありません。

ブーム、話題、導入するのが当たり前、取り入れないと競争に置いていかれる…というような情報に踊らされてしまうと、新しいものを訳もなく取り入れ、それに振り回されるということが起こります。
気がつくと我をどこかに持っていかれて「我をなくす」という「手段の目的化」の落とし穴にはまってしまうのです。

このような本末転倒が起こらないようにするためには、新しいものを自分たちの目的の中に位置づけていくための主体的な議論のプロセスが必要です。

「なぜ、何のために」と目的を考えるプロセスが「我」をつくる

目的とは、実現したい姿を「めざすこと」であり、手段とは、目的実現のために(使える)必要な「道具、手立て」です。
つまり、目的と手段は常にセットで働く関係ですから、目的があいまいであれば、じつは手段は決まらない。
目的が明確であれば、その実現に効果的な手段を見出すことができる。
目的の話を抜きにして手段の良し悪しは語れない、といってもいいでしょう。

たとえば、DXという手段を取り入れるとしたら、これをきっかけに

「なぜ今、DXなのか?」
「何のためのDXなのか」
「そもそも、我が社にDXは必要か」
「もし導入しなければどうなるのか」
「DXによって我々は何を実現したいのか」
「我が社がDXに取り組む意味は何か」
「DX導入が、我が社、お客様、市場、社会にどういう価値をもたらすのか」
「我が社ならではの強みが生きるDXとはどんなものか」

といった問いを立て、チームで目的について話し合うことが重要です。

なぜなら、こうしたプロセスを通じて、顧客、社会、世界へと意識は広がっていき、自分たちがめざしたい姿のストーリーが生まれます。
「なぜ、何のために」を考える過程では、「これを失くしては我が社が存在意義を失う」といった自社だけが持つ特徴や強みが浮き彫りになり、本当に大事なものとして確信されていきます。

本当に大事なものをいかに顧客価値に変えて優位性にしていくのか。
めざす姿に向かうために、あらためて現実の事業やビジネスを見直してみることで、新たにどういう手段が必要なのか、どうアプローチすれば近づけるのかと、真剣に手段や道筋を探ろうとする内発的な動機や意志が宿ってくるのです。

特に、持続のためによりよく変わっていこうという変革の局面では、方針や施策に“魂”を入れ、主体的な関わりと自発的な協力を促すためのこうした議論プロセスが欠かせません。
自分たちの目的のためにその手段がどのように有効なのか、目的を通して考え、失敗の可能性も含めて自らの意思で選択することで、新たに取り入れるものが“身の一部”になっていくからです。

自分と会社をなくさない「心が動く目的」を設定する

あらためて、「いい目的」とは何でしょうか。
私たちは当たり前のように「目的は明確でなければならない」という言葉を使います。
確かにそれは大事なことなのですが、ともすれば、“明確にする”ということを“具体的にする”ことと混同してしまいがちです。

たとえば、「売上1000億」「業界No.1」というように、目的を定量的に表せるものにする。
これはとても明快ではありますが、あくまでも目標であって目的とはいえません。
しかし、数値目標は計画に乗せて示しやすく、受け取る側にも説明不要で伝わります。
数値目標のゴールは“必達”ですから、それを達成することが目的化しやすいのです。

しかし、目的とは達成すべき数値目標ではありません。
社会やこれからの世界に対して「こういう存在でありたい」という思いをもって考え抜かれたもの、みんなが共感、納得し、動機が宿るような「意味」「価値」「意志」の3つを伴うものです。

意味:なぜそれをめざすのか、という理由
価値:それを実現することで得られるもの
意志:どうしても実現したい、という思い

これらが明確になっている目的は人々の心を動かします。さらに、それをめざすプロセスにおいて、人の挑戦や変化、成長を条件として求め続けるのが「いい目的」なのです。

手段の先に具体的な目標を置いて走り出すというのはよくあることです。
しかし、そこに「意味」「価値」「意志」の3つを伴う「いい目的」がないと、手段を実行する人には「何のためやるのか」がよくわからないために“やらされ感”や“徒労感”が生じます。

私たちの見聞きする範囲でも、いろいろな施策への対応や数字に追われて、「最近、職場に疲弊感が蔓延している」という声が年を追って大きくなっているように思います。
その背景には、「いい目的」を話し合うプロセスがないためのやりがいのなさ、目標疲れがあるように感じます。

「いい手段」をつくり込むプロセスで“身の一部”にする

経営手法など外部から手段を持ち込むだけでは、業務を複雑にするだけのお荷物になってしまいます。
「いい目的」を実現する「いい手段」にするためには、自分たちに合ったものにローカライズしていく必要があります。
目的の実現に必要不可欠な道具として主体的に活用するために、自分たちで手をかけてつくり込むのです。

大事なのは、もともとの道具の良し悪しではなく“使いこなす”ことにあります。
使いこなすとは、使う人が現地現物に合うように知恵を出し、手を加え、ルールを決め、それに応じて仕事のしかたや体制も見直していくということです。

そうやって自分たちでつくり込んだ手段は、与えられたものではなく自分たちのものですから、常に目的と現状を見ながら、よりよいものへと進化させていくことができます。
現在地を確認しながら目的とのズレに早く気づき、素早く修正できるプロセスをもつことは、手段が形骸化する、現場の実態が見えなくなるなど、現実離れによる大きな損失を出さないためのリスク回避にもなります。

人に働く目に見えない「プロセス」に光をあてる

外から新しいものを取り入れるとき、導入者はどうしても即効性を期待して、まず「どうやってやらせるか」から考え始めてしまいます。
強制力を働かせて徹底してやらせることで、見た目の一時的な成果は得られるかもしれません。
しかし一方で、手段を目的化して「我をなくす」という「手段の目的化」の落とし穴にはまってしまうことの危険性を忘れてはなりません。「手段の目的化」による一番の損失は、「人が成長する機会」を奪われてしまうことです。

どんなに素晴らしい手段や方法であっても、“自分たちで考える”ことを置き去りにしてただ徹底するだけでは、機能も進化も止まってしまいます。
何より、そういうやり方がもつ価値観が人の成長を望んでいない、という点に注意が必要です。

人は、目的に意味・価値を見出すことで意志を持ちます。毎日の仕事をしながらも「自分にはこれがある」と誇れる目的があれば、それを実現するための手立てを自分で考え抜き、知恵を絞ります。
結果の見えない試行錯誤を重ねることにも虚しさはありません。

「いい目的」は人の心を動かし、行動の指針となって「いい手段」を連れてきます。自分たちの手で手段をつくり込み、進化させていくプロセスにおいて、人が自律的に成長するからです。

私たちが企業風土改革の視点として「プロセス」にこだわる理由はそこにあります。